『ニッポンには対話がない』

ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生

ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生

 いやぁ、これはすごい本だ。池田修さんのblogでこの本の著者である平田オリザさんや北川達夫さんのことが紹介されていたり、この本が紹介されていたので、前から興味は持っていた。このたび購入して読み始めたが、もうとにかくすごい本だ。
 平田さんは演劇教育の立場から、北川さんはフィンランド教育の立場から、それぞれ日本の教育事情について批判をし、対案を述べている。立場は違うはずのお二人なのだが、その問題意識は驚くほど似通っている。そして、お二人の意見は実によく噛み合うのである。
 この本の目次を引用しよう。

  1. 教え込むことの誘惑
  2. 対話空間のデザイン
  3. 表現の型、個性、教育
  4. ともに生きる力
  5. 移民社会への秒読み

 「教え込むことの誘惑」はなかなか衝撃的だった。日本の伝統的教育方法としては教師が生徒に徹底的に教え込むことが支配的である。ところが、それでは子ども自身の力は育たない。子ども自身が考える環境を作り、教師はそのファシリテーターとして活動すべきことが語られる。これは、私の今夏の研修成果とまさに一致する。
 最後の「移民社会への秒読み」も衝撃的だった。日本は今まさに移民社会に移行しつつあり、10年後にはすでに移民による労働力が不可欠になるだろう、と言う。事実、数ヶ月前の新聞で、看護士や介護士に移民の方々が導入され、それらの方々への日本語教育がされていることが報道されていた。これらは国としての政策であり、移民の受け入れはもはや国策なのだという。ところが、こうした移民社会の到来に対応する教育が全くなされていない。
 必要なことは、こうした将来の変化に対応しようとする気持ちを持つことだろう。日本という社会は、政治家も人々も、こうした変化を認めようとしたがらない。しかし、必要なのは変化を認め、何とか対応しようとする気持ちを持つことである。何よりその変化を知らなければ、そして変化に対応する覚悟がなければ、変化を認めない人々と何ら変わりない。
 具体的に、教育の現場においてどのようにこれに対処すべきか。個人の力でどこまで対応できるのか。しかし、対応しなければどうしようもない。自らが変化することを恐れない心、それがまずは必要だろう。