同僚の公開授業

新潟高校には、教員は年に最低1回、公開授業をすべし、という取り決めがある。今日、同じ1年生の古典を教えている同僚の公開授業があり、参観した。
やはり、他人の授業を見ることは何よりも参考になる。その同僚はまず小テストを10分間行い、15分間ほどその解説をした。文法的なこと、口語訳のこと、内容読解のことなど、短くよくまとめられたテストだ。その後、この同僚の授業名物の、窓ガラスも割れんばかりの大音声の朗読が始まる。そして、ほぼ一文ずつ、生徒に指名して口語訳させながら、文法の解説もしていった。全文を訳させるのではなく、ポイントとなる一文を訳させるという印象だった。確かに、そうしなければ小テストの時間は割けないだろう。文法の解説、本文の解釈、内容の読解など、どれもが非常に適切で、極めて分かりやすい授業だった。時折冗談や雑談を交えながら、パワフルな授業はめでたく終了した。

素晴らしい授業ではあった。ただし、これを私がまねようと思っても、できないだろう。これはこの同僚の個性ならでは、の授業である。私は、誰がやっても同じ効果を上げられる授業を目指している。そこで、ある程度は型にはめ込んで授業を展開する。彼の授業とはベクトルが違うが、それでもその技を盗めるものはいくつかあった。