古典

今日は古典を3クラス。
そのうち2つは淡々と論語を読み進む。本文を板書し、横に訳と語法等を書き、解説を続けて書いていく。しかし、論語はどうしても人生論になってしまうので、やや気恥ずかしい気がする。同じような主旨で話をしても、聖書の証しとは大違いだ。こちらは真の神という絶対なる存在がある。論語の場合はそれを抜きにして語らなければらならいのだもの。
もう1つのクラスは、前回と同じように図書館に連れて行き、孔子についての新聞記事風レポートを書かせた。このクラスはやたらにうるさいクラスで、なかなか静かにはならなかった。前回のクラスが、最初こそは多少うるさかったものの、後半は鉛筆の音だけがしていたのとは大違いである。クラスの雰囲気がこんな所にも表れる。