KH Coderをインストールしたのだが…

 今日は午前中に雑用をいろいろと片付けました。手紙を書いたり、前期の授業資料を整理したりしました。前期の授業資料はまだ十分に整理できたとは言えませんが、それでも懸案になっていたことはようやく片付きました。自分でToDoリストを作り、それをひとつひとつ消しながら作業を進めているのですが、これで「しなければならないこと」はほぼ終わりました。ようやく自分の「したいこと」にかかることができます。
 私の「したいこと」は、主に「授業準備」と「研究」です。授業準備の方は、特に今回は後期に使用する教科書を例年のものと変更したので、新しい教科書の内容と自分が今まで教えていた内容とを突き合わせなければなりません。まあ、これは「すべきこと」の範疇に入るかもしれません。これは、苦しくも楽しみな仕事です。
 そして、もう一つの「研究」は、楽しみなものですね。自分でも分からないことを、あーでもない、こーでもないと考えたり、試したり、本を読んだり、人に聞いたり、いろいろします。そうしてもがいているうちに道がパッと開ける時があって(ない時もありますが……)、そんな時は嬉しいですね。苦労が報われる気がします。
 その私の研究は授業実践が主フィールドなので、検証には学生にアンケートをとることが欠かせません。そのアンケート結果は、今までは量的分析のみでやってきました。しかし、最近はどうもこの手法に手詰まり感があるのです。私の質問の立て方にも問題があるのですが、私の授業環境ではランダム化比較試験が実施しにくいのです。1クラス130人の授業では、実験群と対照群とを設けることができません。そこで、どうしても1要因参加者内分散分析しかできません。これでは授業手法の有効性を本当に確認できるかどうか、なかなか難しいところがあります。
 そこで、ぜひ試してみたいと思っているのがテキストマイニングなのです。テキストマイニングは、学生がアンケートに書いてくれた自由記述の文章(テキスト)の中から、有用な情報を掘り出す(マイニング)ものです。先の1要因参加者内分散分析の結果と合わせることで、もう少し説得力のある議論ができるか、と思っています。
 このテキストマイニングを行うアプリケーションとして有名なのが「KH Coder」です。先の保育士養成セミナー/研究大会においても、KH Coderを使って分析していた研究発表を数件見ました。やはり良い方法なのだな、と実感を新たにしたわけです。そこで、何とかこの分析法をマスターしたいのですね。しかし、KH Coderは基本的にWindows用のソフトウェアです。Windowsではフリーソフトなのですが、Macには有償で対応しています。今まで、Windowsで使い方を慣れてから有償サポートを申し込もうと思っていましたが、どうやらそんな悠長なことは言っていられない状況になってきましたので、今日、思い切ってMac用の有償サポートを申し込み、研究室のiMacにインストールしました。いやぁ、KH Coderが私のiMac上で動いているのを見るのは感動しますね。
 しかし、チュートリアル・データを用いて少し動かしてみたのですが、うーーーーーーん???? 今一つすぐに理解できません。チュートリアル通りに操作しているつもりなのですが、うまくいきません。どうも勝手がよくわかりません。やれやれ。かつては新しいソフトウェアだろうがハードウェアだろうが、訳が分からないとかえって燃えて操作できるまで延々と時間をかけていたものですが、最近はそんなエネルギーがなかなか出てきません。言われた通りにやって動かないと、意欲がすぐに削がれてしまいます。困ったものだ。
 というわけで、とりあえず研究も一歩前進したことを今日の喜びとしましょうか。

メールによるブッククラブ終了

 7月の公開講座を機に、4つのブッククラブがスタートしました。講師の吉田新一郎さんの呼び掛けにより、4冊の本にそれぞれ4人ずつのメンバーが集い、ブッククラブがスタートしていました。私はその2つに関わっていました。そのブッククラブが先週の金曜日で2つとも終了しました。いやぁ—、楽しかった! というのが一番の感想です。
 正直言って、メールによるブッククラブはけっこう大変です。1冊の本を5週間かけて読むことにして、毎週決めた曜日までにあらかじめ決めた範囲を読み、その箇所についての感想や思ったことなどをメールで自由に発信します。メーリングリストを作ると本格的になるのでしょうが、何しろメンバーは4人ですので、メールの一斉送信機能で十分に事足ります。しかし、日々の授業や仕事をしながら、決めた範囲を読むのはなかなかにしんどいことでした。一人で好き勝手に読んでいるのなら、あるいは1週間もかからないでしょう。しかし、さすがに他のメンバーに感想等を送ると考えると、読み方も真剣になります。印象に残った箇所に傍線を引いたり付箋を貼ったりし、その箇所についてのコメントをメールにして送ります。また、他のメンバーからのコメントを読み、時に反応します。これらの作業はけっこう負荷がかかりました。スタートしたのは7月下旬。その時期から8月中旬までは授業や成績算出、そして盛岡へ出張などと、業務が続きました。この合間を縫って本を読みコメントをしなければならなかったので、私などはコメントを送るのをしばしば遅らせてしまいました。
 しかし、このブッククラブを終えて思うことは、本の内容の定着度が一人の読書の時と雲泥の差だ、ということです。それはそうでしょうね。コメントを書くために一生懸命本を読み、下線を引き、付箋を貼り、強く印象に残った箇所を引用しつつ、コメントを書いていました。それだけでも記憶に残るというのに、他のメンバーが同様の箇所についてコメントするのを読んだり、自分が注目しなかった箇所についてのコメントを読むと再確認したり、1冊の本についてあれもこれも様々なアプローチをします。これで記憶に残らないわけはありません。年齢を重ね、最近は読んだ本の内容を覚えられないなぁと嘆いていた私にとって、今回のブッククラブによる本の理解度・定着度は驚くほどでした。おかげで、今回の本で読んだ内容を元にして、書かなければならない原稿を仕上げることができました。
 私の場合、この外部からの強制力は決して不快ではありません。むしろ、大変なのですけれど、得るものは通常の読書よりも多いものです。それだけでこのメールによるブッククラブは推奨するに値します。
 さらに、ブッククラブについて読んだことから、授業でブッククラブをしてみたいという思いがふつふつとわき上がってきました。後期の国語の授業でブッククラブを行うことに決めました。テキストとして指定し、学生に本を1冊買ってもらいます。これを用いて、4回ほどのブッククラブの授業を行おうと考えています。テキストはやはりこれ!

ギヴァー 記憶を注ぐ者

ギヴァー 記憶を注ぐ者

 ブッククラブの良さを認識させてくれた、私たちのブッククラブの本はこれです。
読書がさらに楽しくなるブッククラブ-読書会より面白く、人とつながる学びの深さ

読書がさらに楽しくなるブッククラブ-読書会より面白く、人とつながる学びの深さ

 いやぁ、タイトル通りですね!

台風の近づくときに

 新潟市内の小・中・高校では先週からすでに授業が再開されていると思います。お疲れ様です。今日は暑かったですね〜。おそらく、台風が近づいていることによるフェーン現象なのでしょう。新潟市はものすごく暑くなりました。
 短大は8月半ばに授業が終わり、3週目に入りました。私の勤務する短大は9月末まで夏期休業なので、何となく私自身はようやくこれから夏休み! という感じです。この2週間はいろいろな仕事やら出張やらに追いまくられ、ものすごく忙しく感じました。それらも多少一段落して、今週あたりからは自分の勉強・研究、そして後期の授業の準備が落ち着いてできそうです。
 先週の24日(水)〜26日(金)に、全国保育士養成校協議会主催の保育士養成セミナーに参加してきました。盛岡市で開催されました。盛岡市と言えば、今から25年前くらいに、宮沢賢治記念館を中心に文学館訪問の一人旅を企てて、訪れて以来です。でも、今回はセミナーへの出席以外はどこも行きませんでした。それだけセミナーの出席で一杯一杯だったのです。このセミナーには初めて参加しました。「保育士養成のアフォーダンス」と銘打って、講演会やらシンポジウムやら分科会やらに参加しました。講演会は2つ、アフォーダンスという語をテーマに掲げる以上、アフォーダンスについて解説が必要と言うことでしょうか、アフォーダンス研究の第一人者の先生の講演がありました。興味深かったです。そして、『「学力」の経済学』の著者である方の講演もありました。エビデンス・ベースの教育論議を、という主張は賛成します。
 個人的にとても興味深かったのは26日に行われた研究大会です。ポスターセッションによる個人発表が行われました。私はIT機器を保育養成の授業に活用した実践や、マインドマップを活用した実践、テキストマイニングを取り入れた研究などの説明を受けました。さらに、領域「言葉」の授業についての発表が2件あったので、それぞれ説明を伺いました。1つは授業に対話を取り入れた実践、もう1つは絵本の探究をやらせた実践です。この絵本探究の授業は興味深かったですね。ある意味でブッククラブなのですが、ブッククラブとは違って1冊の絵本について、作者のことや絵本自体についての研究や、様々に学生に探究させ、グループで検討させ、発表させていました。なるほど、これだけの探究をさせれば、絵本の読み聞かせなどは簡単に指導できるな、と思います。いいなと思ったのは、6コマの授業(他のことも扱うそうです)を使うのですが、そのほとんどは学生の探究活動に任せてしまっている点です。自分自身の目で見いだし、探し出し、調べたことを基に考えをまとめさせる態度はとても素晴らしいと思いました。後期の授業に取り入れたいなと思います。ただ、そのままという形ではなく……。ともあれ、言葉指導法の授業でも絵本を用いたブッククラブを導入できる可能性に気づかせてくれたのは、大きな収穫でした。
 そんなこんなで今週が始まりました。私の歩みは本当にのろいものですが、よりよい授業・研究を目指して何とか生きていきましょう!

前期の授業終了

 勤務先では前期の授業は火曜日までで、水曜日から定期試験が始まっています。私は、その期間に補講を入れています。それが今日終わり、これで前期の授業が終わりました。いやぁ、頑張ったなぁ〜、私。
 もちろん不満や不十分なところはまだまだあるでしょう。しかし、今年の授業には今までにましていろいろなことに挑戦し、取り入れてきました。それがともかくも終わり、ほっとするとともに、ちょっとした達成感を持てました。自画自賛ですが、良かった良かった。
 ブッククラブが始まり、2冊の本についてコメントを考えて投稿することが3回目になりました。初めは勝手がよくわからず、いろいろ失敗したり、余計なことをしたりしてしまいました。しかし、形式にこだわらず、単純に「全員に返信」でコメントを送れば良いのだと開き直ることができて、ようやく軌道に乗ることができたように思います。7週間でそれぞれの本を読み終えることになっていますが、さて、終着駅にはどんなことが待っているのか、楽しみです。
 そのこともあり、授業もあり、先週1週間は集っている集会の特別伝道集会が8日間続いていて、ドタバタしていました。授業が終わり、これからは収集と成果の産出をする時間が少しは取れそうです。あっ、その前に前期の成績を産出しないと……。頑張ります。

口火を切る大切さ

 昨日、メールによるブッククラブが始まったことをお知らせしました。私は2つのグループに属していますが、何しろ公開講座の仕掛け人ですので、ブッククラブでも自分から動こうと思い、最初のメールを出しました。ブッククラブの進め方と1回に読んでいく量とを提案しました。メンバーからは了承する旨の反応があって嬉しく思いました。できればメンバー全員から反応が欲しいところですが、何しろ始まったばかりですし、慣れないことですからね。OKです。
 私が参加していない他のグループの方は、なかなか動きがありませんでした。少し心配していたところですが、忙しさに紛れて、ついそのままにしてしまいました。そうしたら、今日になって1つのグループで最初の書き込みがされたそうです。いやぁ、良かった。皆さん、気にはしておられるのでしょうが、最初の口火を切ってメールを出すのはなかなか億劫なものです。いよいよブッククラブが動き出しそうです。
 どんなことでも口火を切るのは難しいことです。他のメンバーが何も動き出していないのに、自分が最初に動きを見せるのは何事に付けても勇気の要ることです。私は比較的、そうした口火を切ることにあまり抵抗感がありません。特に自分から進んで参加した会合などでは、何かしら発言しようと思う心が先立ちます。発言することで自分がそこにいる意味を見いだせますし、何より全体に貢献できますしね。でも、他の方にとってはそんなに簡単なことではないのかもしれません。その中で、口火を切ることはとても素晴らしいことだと思います。
 同時に、口火を切ることを待つことも大切なのだなと、今日は考えさせられました。動きがないからといってすぐにお節介を焼くと、せっかく内面で盛り上がっていた気持ち、今にも行動に移っていきそうな気持ちに、まさに水を差すことになってしまいます。じっと待つことは、それこそ私のような人間には難しいことかもしれません。しかし、主体的に学びを起動させようとすることを願うならば、待つことは必須です。
 いろいろなことを考えさせられた、今日の動きでした。

メールによるブッククラブ

 7月2日の公開講座で、講師の吉田新一郎さんから「メールによるブッククラブ」の紹介があり、参加が募られました。あれから約1週間、参加者の中からの希望者により、いよいよメールによるブッククラブが始動いたしました。
 ブッククラブとは、数人で同じ本を読み、感想を語り合う会のことです。自分の好きな本について語るのは、意外に誰でも夢中になることです。ブッククラブはそのようにして読んだ本について語るとともに、他の人の感想を聞くことができ、さらに感想についてお互いに交流できる、とても興味深いものです。通常はメンバーが対面して行われますが、現代のようにリアルで一所に集まって合うのが難しい時代では、メールによって感想を送り合うというメールによるブッククラブが行えます。これは外国では盛んに行われていることです。さすがはブッククラブの老舗です。
 このメールによるブッククラブへの参加を、公開講座に参加してくださった参加者に呼びかけることで、次々と希望者が集まってくれました。講座では4冊の本が提案されたのですが、提案された本以外の本の希望が出てきて、講師の吉田さんを驚かせ喜ばせました。そのような経過をたどり、4つのブッククラブが始動することになりました。
 ブッククラブとして扱う本は以下の4冊です。

読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

「読む力」はこうしてつける

「読む力」はこうしてつける

読書がさらに楽しくなるブッククラブ-読書会より面白く、人とつながる学びの深さ

読書がさらに楽しくなるブッククラブ-読書会より面白く、人とつながる学びの深さ

効果10倍の“教える”技術―授業から企業研修まで (PHP新書)

効果10倍の“教える”技術―授業から企業研修まで (PHP新書)

 4冊目の本が、講師の意図をも越えて成立したブッククラブです。こんなことが起こるなんて、ワクワクしますね。
 私は3冊目と4冊目のブッククラブに参加します。2冊ともすでに読み終えているのですが、改めて読み返すことも楽しいでしょうし、何よりも参加してくださるメンバーの感想に触れることができるのが楽しみです。この夏休みは、忙しくも楽しみなことを持つことができました。

人が変わるためには……

 人が自分の考えや行動を変えるには、どんなことが必要なのだろう。自らの覚え書きとして、以下のことを記しておこう。
 僕のこれまでの知見や経験からすると、人が変わるには以下の3つの場合があると思う。

  1. 自分が無知であることを理解すること
  2. 自分が危機的な状況にあることを理解すること
  3. 自分にとって憧れとなるものを見つけること

 1.について。僕はかつて教育センターに勤務していたことがある。その時に感じたことは、それまでの自分はいかに無知だったか、ということだ。高校での日々の授業をこなし、自分の授業に漠然とした不満を覚え、しかしそれを打破する方法を見いだすことができずにいた。この時、僕は自分でいやだなぁと思いながらも、これまでの授業スタイルを変えなかった。それが、教育センターに行って様々な授業のあり方や改善方法を知ることができた時、僕が痛感したのは「何と自分は無知だったのか」ということだ。もちろん、自分なりに読書はしていた。今よりもこの時の読書量の方ははるかに多いと思う。でも、それは自分の趣味や興味・関心を第一とした選書であり、授業のあり方を考えるために参考となるものではなかった。そして、無知であった僕は、世の中にそういった本があることさえ知らなかったのだ。だから、そうした本の存在を知った僕は、焦るかのように教育の専門書を買い求めていった。全部を読み切ることはできなかったが、その中のいくつかは読んだ。それが今の僕の血肉の一部になっている。だから、自分が無知であることを理解するのは、自分を変える大きなきっかけになり得る。でも、どうやれば自分の無知を自分で知ることができるのだろうか?
 2.について。自分が実は危機的な状況に置かれていることを、多くの人は実は知らない。聖書の詩篇23編に次の節がある。

たとい、死の影の谷を歩くことがあっても 私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
(聖書:詩篇23篇4節)

 これは、実は「死の影の谷を歩く」ような日々を送っているのにそれに気付いていないのだ、という人間の真の姿を僕に思わせる。しかし、自分が「死の影の谷」を歩いていることを理解できれば、人はそこから逃れようとするだろう。必死でそこから脱出することを図るだろう。それなのに、人が行動を起こさないのは、人が自分の危機的状況に気付いていないからだ。よって、自分が危機的状況にあることを理解できれば、人は自分を変えることができる。でも、どうやればそれを知ることができるのだろうか?
 3.について。自分が危機的状況にあることに気付いて、そこから逃れようと思ったとしても、いったいどこへ逃れたら良いのだろう? 危険なのは分かった。しかし、どこへ逃げれば良いのか? 多くの場合は、これを示すことができないと考える。この時、僕らを導くのは「憧れ」ではないか。こうなりたい、このようでありたい、こんな自分になりたい、この人のようになりたい、そうした想いは人にエネルギーを与える。人に活力を与える。行動しようとする力を与えるのだ。危機から脱出しなければという負の走性だけではなく、そちらへ行きたいと思わせる正の走性を刺激するものを僕らは持つべきではないか。では、そのために僕らはどうすれば良いのだろうか?
 こうして考えてくると、自分に合ったものを見いだす力を僕らは持つべきだと分かる。先日の公開講座でも、講師の吉田新一郎さんが述べておられた。リーディング・ワークショップでも、ライティング・ワークショップでも、最も必要なのは自分に合った本を選ぶ力、自分が書きたいことを見いだす力であり、それが7、8割を占める、と言っておられた。僕はそれを重く受け止めた。そして、どうやればその力を子どもたちにつけさせることができるのだろう、と考える。今、思いつく唯一のことは、「とにかくやらせてみること」だ。子どもたちに選書能力が乏しいのは、自分の書きたい題材を見いだすことが難しいのは、何よりも今までの教育がそうした機会を与えてこなかったからだ、と思う。上から与えられた題材、上から与えられた教科書、それについて書き、それについて読んで問いに答える、そんな授業ばかりを繰り返しているから、少なくとも学校の授業ではそうした力をつけさせてあげることができない。いきおい、子どもたちの自助努力に頼るしかない。そんな理不尽なことってあるだろうか?
 失敗など当たり前。初めからできる人などほとんどいない。試行錯誤、Try and Error. そして、それを鷹揚に見守る教師の姿勢。教師は子どもたちの力を信じて、子どもたちに任せて、学びを進めていく。こうしたことによってしか、子どもは自分に合った本や合った題材を見つけることはできないだろう。自分も、本当に面白いと思える大切な本に出会うまでに、実に様々な本を買い求め、読んだ。1度読んでもういいやと思ったものもある。そうした経験を続けて、初めて大切な本のいくつかに出会っていった。そのようにして選書能力は培われていくものだ。
 悲しむべきは、そうした鷹揚な時間を持つことができない現代の社会の姿である。効率の追求も大切だが、じっくりと本や用紙に向き合わせるのも大切ではないか。スローライフ、スロースタディ。僕らは少し生き急ぎすぎている。