「書く」ことの苦しみ

 期末考査4日目。今日は数学と現代文のテストがあった。現代文はどれだけやってくれただろうか。生徒の奮闘を期待したい。
 さて、この数週間、ずっと心に引っかかっていた論文を「とりあえず」は書き終えた。この論文は学会で発表する研究の理論編にしようと思っていたのだが、結果的に授業実践のアウトラインまで示すことになった。さらに、理論の裏付けが不十分のまま終わってしまった。締切が今日までだったので、ともかくも書き上げ、送付した。何より締切を守るのが至上課題なので、自分としても不十分であるのがよく分かるのだが、ともかく送付した。一応、肩の荷が少しだけ下りた。
 しかし、今回も書けなかったなぁ。最初にアウトラインを書いて、全体の構想を考えてから書き出した。今回はアウトライン・プロセッサを用いるのではなく、エディタを使って各章の題名を書き出し、そこに肉付けをしていく、という方法を採った。アウトライン・プロセッサの有用性は頭では分かっているのだが、今ひとつ使いこなせていない。私の大きな課題の一つである。しかし、エディタを使うのも途中でやめて、テンプレートを使ってワードにどんどん書き出していった。脚注を付けたり、図式を貼り付けたりする作業を文章書きと平行して行わなければ間に合いそうもなかったからだ。どうも論文を書くための「作法」を確立できない。数をこなすしかないのかなぁ。あるいは誰かのやり方を一度はしっかりとまねる必要があるのかなぁ。
 そうして書き出していったのだが、最初の「問題の所在」の段階でどうにも文章が続かない。机の前で腕組みをして考えたり、うーんと悩んでみたりしたが、やはり文章が続かない。机を離れ、あちこち歩き回ったりしていると、ふと考えが浮かんだ。そもそも私が最初に設定したテーマが間違っていることに気が付いた。やれやれ。嬉しいアイデアだったが、また書き直しである。冒頭の出だしはそのまま生かし、「しかし」で始まる自分自身の主張から全て書き直した。
 その後、自分の主張を裏付ける理論部分を書いていったのだが、これが薄い。論理の展開は間違いないと思うのだが、それらを裏付けるデータ部分が弱い。相変わらず文献の使い方や文献探索の弱さがもろに出て来る。また、今まで調べてきた文献をデータ化することの弱さも露頭する。本当に自分の弱点がこうしたところに影響してくるのだ。
 本当に文章を書くのは難しい。書きたいテーマはあるのだが、それを具現化することがいかに難しいことか。頭の中のアイデアはいわば魂のようなものである。それがデータや理由づけという骨格や肉付けを得て、表現という衣をまとって、初めて文章としてこの世界に具現するのである。この一連の作業は楽しくも苦しい。一人の人間をこの世に生み出すことに等しい行為である。
 自分の授業実践の紹介部分はすいすい手が動く。それでも資料をjpeg形式に変換して貼り付け、形を整える作業に時間がかかる。愛用のPowerBookG4の非力さに悩まされる部分である。やはり、根本的な解決策が必要だなぁ。このために費やす時間を考えれば、もはや必須の段階まで来ている。
 というわけで、2月29日の23:56に論文を添付ファイルで送りましたとさ。やれやれ。もっと時間にゆとりが欲しいなぁ。