三角ロジックに挑戦しようか

 今日から通常授業に戻った。今日は現代文が1コマと古典が1コマ。現代文は3組である。今年に入って初めての現代文の授業だ。期末考査まで2ヶ月あるのだが、1,2月は様々に行事が立て込んでいるので、現代文は各クラス9時間しかない。その中で取り扱うのはこれまた定番の『「である」ことと「する」こと』である。
 評論を読む際にも話し合い活動は有効なのではないか、あるいは評論を話し合い活動で読み進める場合、どんな授業ができるのか、そんなことを研究したいと思っている。しかし、もはや授業は始まるし、評論を読むというのは小説を読む場合とは違った認知が行われるので、何を問題点にしていいのか、それをどのように計測しようか、ここ数日悶々としながら考えている。そして答えが出ない。困ったなぁ。(^_^;)
 今日の授業は最初の時間なので、まずは文章にしっかり触れ、語句をきちんと理解させよう、と考えた。そこで以下のような流れで授業を行った。

  1. 形式段落に段落番号を振らせる。
  2. 4人でグループを組み、その4人で音読をさせる。形式段落ごとに読み手を順番に換えさせる。なお、それが終わったら語句の小テストを行うことを宣言する。
  3. 語句の小テストを行う。5分間。終わったら答え合わせ。
  4. 語句調べプリントを配布し、自分が調べたいと思った語句、覚えたいと思った漢字をそれぞれ抜き出させる。意味調べは次時までの宿題とする。

 これで65分間を結構フルに使った。音読でだいぶ時間を取った。しかも、語句小テストを行うと宣言していたものだから、グループ内での音読が終わった後も、そのグループ内で語句の読みや意味について互いに話し合う姿が見られた。
 これだけ語句についてじっくりと触れれば、次時からは語句についてあまり気にせずに授業を進められるだろう。
 さて、このクラスは明日も授業がある。いよいよ内容を読み取っていかなければならない。今回は接続詞などに着目して筆者の主張を正確に読み取っていかせたいと思っている。そこで、「三角ロジック」に着目させた授業を行おうか、と考えた。「三角ロジック」はトゥールミンによる論理的思考の定型パターンである。「主張」に対する「根拠」は「データ」と「理由付け」によって支えられている。この「主張」を頂点として「データ」「理由付け」の2つが底辺で支えているというトライアングルを想定すると、しっかりとした主張が構成されるわけだ。これを「三角ロジック」という。そして、これは論理的思考の基本的な、しかし普遍的なパターンである。
 この「三角ロジック」を基にして、教材の文章の何が「主張」で、何が「データ」「理由付け」なのかを各意味段落ごとに考えさせてはどうかと思うのだ。これをすることで主張を示すのは「しかし」や「つまり」などの接続詞であることが自然に分かるのではないだろうか。
 これをグループで行ったらより効果的に理解が進むだろうか。個人作業と比較したらどうだろうか、しかしこうしたスキルの習得はグループで行った方が効果的なのは当たり前すぎるのではないか、などなどなど、いろいろ頭に浮かんできて考えがまとまらない。そのため、研究の方向性が定まらないのだ。うーん、困ってしまう。
 古典は2組。今年最初の授業である。「桐壺」を次々に読み進めていく。このクラスも明日授業がある。どんどん進むぞー。