「捕蛇者説」の授業

 7組と10組での授業。どちらも「捕蛇者説」の口語訳は全て終わり、柳宗元が何故この文章を書いたのかという背景を考えさせる部分だけが残っていた。しかし本当はこれは最後の一文「そこで私はこの文章を書いて、あの為政者が読んでくれることを期待する」という箇所に絡めて考えさせるべき所である。7組は前回の授業でそれができたけれど、10組は本当に口語訳が終わっただけで前回が時間切れになってしまった。今から口語訳を蒸し返すのも何かなと思い、すぐに私の方で柳宗元の思いとその背景を説明してしまった。面白くなかったかな。
 しかし、柳宗元は理想に燃えて政治改革を行い、失脚して左遷されたのだろうが、その地で圧政に苦しむ民衆の姿を目の当たりに見ることができた。彼の民衆に対する同情は本当に切実なものがあろう。しかし皮肉なことに、それは彼が左遷されなければ知ることのなかったことである。でも、それが故に彼は「捕蛇者説」を書き、それが人々に名文として広く読まれ、さらには海を越えて日本にまで伝わり、そして21世紀を生きる高校生たちが読んでいる。思えば、こちらの方が遙かに良く柳宗元の意図を実現することになったとも言える。まさに「ペンは剣よりも強し」である。
 そんなところを生徒たちには感じ取って欲しいなぁ。そして、約1000年の時空を超えて、良き社会の実現を願った一人の男の思いが今も生きていることを実感して欲しいなぁ。そしてできれば、自分たちもその実現を願う者の一人になって欲しい、と思う。間違っても民衆を苦しめていたあの徴税役人のようにはならないで欲しい。これは自戒も込めているつもりである。