『こころ』読解の授業

 8組と3組の授業があった。8組は「精神的に向上心のない者はばかだ」の箇所を扱う。3組はその次の、「覚悟」についての意味と「襖」の開く場面である。
 3組はいつも良い反応を見せてくれるクラスである。今回の襖が開く場面でも良い反応を示してくれた。非常にありがたい。襖が二尺=60cmも開けられている箇所では、私が「60cmも開けてただ名前を呼んで起きているかどうか確認しているだけだとは考えにくい」と説明したところ、首をかしげる生徒がいた。いいねぇ。そういう反応があると、私の方でもさらに他の証拠を出そうと考えさせてくれる。授業がそれだけ豊かになるのだ。だから生徒の反応は大歓迎である。しかも、こちらが予期しない反応が返ってきてくれた方が嬉しい。そこから授業を組み立て直すからね。そのダイナミックなプロセスのただ中にいることが楽しい。プログラム通りの予定調和的な授業など面白くも何ともない。教師の予期通りの授業は何がよいのだろうと思ってしまう。
 とはいえ、襖が二尺開けられている意味やKが「私」の名を呼んだ意味について、その都度生徒にペアで考えさせはするが、私が説明する。なかなか生徒の方からは考えが出てこないだろうと思うからだ。あるところまで私の方で連れて行って、そこで何が見えるかを聞いてみたい。そこで、Kが何をしていたのかをペアで考えさせた後、生徒に指名して問うてみた。生徒は「「私」が盗み見していないかどうか確認するため」と答えた。そこで、「盗み見されると何故困るの?」と聞き返してみた。すると「「私」に隠れてしているから」と答えてくれた。ふむふむ、やはりそう考えてくれるよね。そこで私は「Kは「私」が寝ている間に何かをすることができるかどうか確認していた」と説明した。
 この箇所は生徒独力ではそう簡単にたどり着けないところだろう。十分な補助があって、初めて高見に登れる、そんな箇所だ。あるいはいろいろな意見を言える環境にあるクラスなら、様々な意見の中でこうした考えも出て来るかもしれない。とりあえず今回は私が説明をして、補助をしている。