『こころ』の授業

 5組でのグループによる読みの授業2回目。このクラスはとにかく授業と授業の間隔が空いてしまう。前回の授業は10日くらい前になる。その間に文化祭があり、休日はあり。およそ『こころ』の内容など覚えているはずもない。そんな中で、第2回目の話し合いを強行してしまった。だって仕方ないよね。
 2回目のテーマは「Kが死ぬべきだったとしたら、それはいつか?」というものである。Kが遺書の中で「もっと早く死ぬべきだのに、なぜ今まで生きていたのだろう」と言っている。このことから、Kはもっと早くに死ぬべきだったことが分かる。では、それはいつになるのかを考えさせた。このことはすなわち、Kの自殺の理由を考え直すことにもなる。Kが死ぬべきだったと考える出来事が何かが分かって、それで初めてそこに至る流れの初めが定まるからだ。この問いについて考えることで、Kの自殺の理由をもう一度捉え直すことができる。
 なお、生徒には『こころ』の中に記されている、「Kが淋しくって仕方がなくなった結果、急に処決したのではないか」という「私」の述懐部分を紹介している。つまり、Kの死因は「淋しかった」ということである。それをどう捉えるのか、そのところも話し合いの重要なポイントだ。
 ファシリテーショングラフィックを使って話し合いをさせた。20分間の討議の後、10分間のメンバーチェンジによる話し合い、10分間元のグループに戻って情報交換とまとめをさせた。その後、各グループ毎に結果を発表させた。なかなか工夫してまとめたグループもあるし、意欲的なものもある。だが、このクラスの場合、Kの「寂しさ」を私に裏切られたことと捉えるグループがほとんどであった。やはり小説の流れを表面的に読むことから抜けきれないのだね。一通りのまとめ方はできるけれど、そして、そのレベルを全員に保証できる点でよい方法だけれど、ブレークスルーがなかなか起こらない。これは、かける時間が少なすぎるのが原因かなぁ。あるいは取り組む意欲の温度差によるのか。一つの読みの典型に到達させるのには、この方法はあまり有効ではないのだろうか。答えの定まらない問いについて答えを模索するには良い方法なのだけれど。