鷲田清一の評論の授業

 8組と3組での授業。8組はようやく評論の授業に入った。あと残るは9組のみ。明日、入る予定である。この評論はなかなか難解である。扱っている題材は身近なものなのだが、さすがにそれを哲学すると表現はずいぶんと硬質なものになる。まあ、それを自分なりにかみ砕き理解する能力が求められているわけだ。そのような能力はどのようにして身につけられるのだろう。ここにも大きな研究領域が広がっているような気がする。
 授業は配布プリントによってぐいぐいと進めている。文章展開に合わせたプリントで、本分の語句を書き入れたり、難解表現を説明したりすることで完成する。これを、わかりやすいところは生徒に発問していくが、ほとんどは私が解説しながら埋めていく。
 3組はこの授業の2時間目である。上記の方法でどんどん授業を進め、第1段の後半から第2段のほぼ全部まで解説し終えた。あとは第3段と第4段。でもこの2つは意外に理解が容易である。取り扱う話題が対照的になっていて、それを追うことで少なくとも表面的には理解できる。これをいかに生徒の日常の経験にリンクさせるかが工夫のしどころである。
 3組は残り1時間。8組は残り2時間。時間との勝負である。