「永訣の朝」の授業

 4組での授業。他の2クラスが行ってきた、グループによる課題プリント検討の後の発表および、それを受けて私が補足しながらまとめていく段階の授業である。そして、この授業は公開授業として行った。学年主任を初め、国語科の同僚や数学の同僚などが熱心に見に来てくれた。同じ2学年の国語科はちょうど授業中だったのだろう。途中で来てくれて、ありがたいことである。
 さて、授業はこちらの思惑通り、活発に行われた。詩中に方言が使われていること、それが( )で括られている意味、さらに4回の(あめゆじゆとてちてけんじや)のリフレインのそれぞれの働き、「まがつたてつぱうだま」の比喩の意味について、まずはグループ内で検討内容を確認させ、次にグループから一人ずつの割り当てで指名していき、その答えを黒板にメモしていき、それらの声を生かしながら内容をまとめていった。このあたりは多少強引なのだけれど、私の得意分野である。
 ( )で括られている意味については、「トシの弱々しい声」という考えとともに、「賢治が心の中で確認している内容」という考えが出て、これはいいものだと思った。何しろ「永訣の朝」は当然トシの死後に賢治が一気呵成に書いたものだろうから、詩中のトシの言葉は賢治が後から思い出して確認しながら書いているものだろう。そして、トシの言った言葉の意味をとらえなおしているのだ。そうした詩の成立時間のことまで考えていなかったろうが、この生徒はこうした考えを引き出してきた。大したものである。
 他に(あめゆじゆ……)の言葉は、実際にトシが発したのは何回かという質問をその場で出し、すぐにグループで考えさせた。1回説と2回説とが出てきて、面白かった。どちらもあり得るのではないかなぁ。もちろん、2回と考えたほうが自然だが。というわけで、この授業もわいわいとはしゃぎながら終わった。
 授業後に見に来てくれた国語科の同僚から「にぎやかなクラスだね」というコメントを受けた。そう言ってもらえるのはある意味ありがたいことだ。というのは、私が担当している3クラスの中で、このクラスは一番不活発なクラスだからだ。それが、グループによる活動、考え方プリントの配布、グループ内でそれぞれの解答を持ち寄って確認しあう、等々の方法がこの不活発なクラスをあそこまで活発にさせ得たのだろう。
 学年主任からは「初めて詩の授業が面白いと感じた」とお褒めの言葉をいただいた。お世辞にしても、嬉しい。数学の同僚からも「楽しい授業だった」と言っていただいた。ありがたいことである。授業は、特に現代文は(知的に)楽しくなければ授業じゃない! というモットーを抱いているので、これらのコメントは嬉しいものだ。
 これに味を占めて、来週あたりに古典の授業を公開しようかと考えている。