「水の東西」の授業

 2組、8組での2時間目。今日は前回7組であまりうまく説明できなかった部分を事前によく考えてみた。そして、単に問題とすべき箇所を問題とするのではなく、その問題が立てられている理由を考えさせる、つまりは筆者の隠された意識・意図を考えさせることの方が重要だと気づいた。そこで、そうした方向で授業を展開した。
 例えば、冒頭に「鹿おどしを見ていると……人生のけだるさのようなものを感じさせる」とあるが、「水の東西」なのに、何故人生のことから話が始まるのか、という問いかけである。こう問うことにより、筆者が「流れるもの」へと読者を誘っているのが分かる。
 また、「樹木も草花もここでは添え物にすぎず」とあるが、この表現から筆者がどう考えているかを問いかける。もちろん、西洋では自然物ではないもの、つまり人工物を賞賛する傾向があることが分かるが、同時に筆者自身はそうした考えにあまり同調できないこと、自然物の方を賞賛したいという考えが無意識に働いていることが分かる。
 ここまで来るとほとんどメディア・リテラシーの授業のようだ。あるいは、これが批判的思考の実践なのかもしれない。いい方向性だ。このまま突っ走ってみよう。