全国大学国語教育学会第130回新潟大会に参加しました

 5月28日(土)・29日(日)と新潟大学教育学部を会場にして、全国大学国語教育学会第130回新潟大会が開催されました。この学会は私がメインで発表している学会です。それが地元に新潟大学で行われるとは、何という巡り合わせかと思います。事務局として活躍されたのは私の恩師です。お疲れ様でした。大変だったと思います。何しろ大きな大会ですからね。
 私は「短期大学におけるワークショップ授業の実践と評価(2)」と題して、研究発表を行いました。昨年実施した授業における実践をまとめたものです。会場に来てくださった先生方はまばらでしたが、それでも20名近くは聞いてくださったと思います。ありがたいことです。
 短大の国語の授業にリーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップを導入した授業の2年目の実践です。1年目で明らかになった課題を解消することを目的とした実践であり、その成果は出せたと思います。同時に、新たに起こる課題もあります。何度でも挑戦できることは嬉しいものだと思います。
 そして、学会発表は楽しいです。発表の準備も楽しいです。自分を追い込むあの過程が、自分への挑戦心をかきたてます。発表自体も楽しいものです。しかし、何よりも楽しいのは質疑応答の時間です。自分の発表に対してどのような質問が浴びせられるか、毎回毎回ワクワクしながらその時間を過ごします。私が困るような質問が来れば、それこそが私にとって参考になる質問です。私の研究の足りないところ、不備なところを労せずに指摘していただけるのですから、こんなにありがたいことはありません。今回も幾つかの質問をいただきました。私の説明不足を補うことができましたし、考えを整理することもできました。そして、私の発表方法の未熟さを確認できましたし、私の評価方法の問題点を再確認できました。やはり、あのような評価法では十分な考察を導くことはできないですね〜。統計学をしっかり学びたいなぁ。そして、テキストマイニングの方法を知りたいなぁ。切望します。
 学会は、他の方の発表を聞くのも楽しみです。今回は、私のすぐ後に発表された信州大の藤森裕治先生の発表が刺激的でした。国語科と音楽科との教科間連携をテーマとしたものなのですが、実際は学習者の目的意識の醸成、学習者間の協働化、それを促しサポートする教員の働きかけとそのあり方について、重要な知見を含んだものでした。やや教員の主導が勝っている感はありましたが、これはワークショップの授業観と共通するものがあると思います。とても興奮しました。
 結局、2日目の午後だけしか参加できませんでしたが、それでも十分に成果のあった学会でした。

指導の経験がものを言うようになった

 今日は私のゼミがありました。前回までに、学生各自の研究テーマをとりあえずまとめさせ、今日はテーマに沿って文献調査を行わせました。ゼミの時間が終わった時、ある学生が私のところに来て、「自分は〜〜というテーマで研究しようと思っていたが、今日、文献を調査したところ、もっと広い可能性があることがわかった。これから研究テーマを変更しても良いか?」という質問をしました。私は「どうぞ、どうぞ。研究テーマはあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり、右往左往しながら一つの方向に決まっていくものだから、今の段階では何の問題もないよ。」と回答しました。
 私がこう回答できるのは、まさに自分自身がそういう経験を経てきたからなのです。私が博士課程に在籍していた際、私の研究テーマはなかなか定まりませんでした。それでも実践を重ね、研究発表をしていくうちに、先に紹介した恩師が「あなたが興味のあるのは〜〜という方向なのではないですか?」と声をかけてくださいました。私はこの一言で「はっ」としたのです。その時が、私の研究テーマの定まった時であり、博士論文の方向性の定まった時でした。何とそれは2年間の冬のことでした。
 こういう経験を経ている私にとって、研究テーマが右往左往するのは「当然」のことです。一方、まさにその渦中にある学生にはそのことが不安に思うでしょう。しかし、そういう状態は普通のことなのだとアドバイスできるのは、これでも短大でゼミを持ち、学生の研究指導を2年間してきたことの経験があるからです。私自身の経験もあるし、2年間の指導経験の中で、そうした学生はたくさん見てきました。だから、現在の学生の状態は普通のことだと断言できます。
 私のようなものでも、指導の経験がものを言うようになったなぁ、と感慨深く思った日でした。