指導の経験がものを言うようになった

 今日は私のゼミがありました。前回までに、学生各自の研究テーマをとりあえずまとめさせ、今日はテーマに沿って文献調査を行わせました。ゼミの時間が終わった時、ある学生が私のところに来て、「自分は〜〜というテーマで研究しようと思っていたが、今日、文献を調査したところ、もっと広い可能性があることがわかった。これから研究テーマを変更しても良いか?」という質問をしました。私は「どうぞ、どうぞ。研究テーマはあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり、右往左往しながら一つの方向に決まっていくものだから、今の段階では何の問題もないよ。」と回答しました。
 私がこう回答できるのは、まさに自分自身がそういう経験を経てきたからなのです。私が博士課程に在籍していた際、私の研究テーマはなかなか定まりませんでした。それでも実践を重ね、研究発表をしていくうちに、先に紹介した恩師が「あなたが興味のあるのは〜〜という方向なのではないですか?」と声をかけてくださいました。私はこの一言で「はっ」としたのです。その時が、私の研究テーマの定まった時であり、博士論文の方向性の定まった時でした。何とそれは2年間の冬のことでした。
 こういう経験を経ている私にとって、研究テーマが右往左往するのは「当然」のことです。一方、まさにその渦中にある学生にはそのことが不安に思うでしょう。しかし、そういう状態は普通のことなのだとアドバイスできるのは、これでも短大でゼミを持ち、学生の研究指導を2年間してきたことの経験があるからです。私自身の経験もあるし、2年間の指導経験の中で、そうした学生はたくさん見てきました。だから、現在の学生の状態は普通のことだと断言できます。
 私のようなものでも、指導の経験がものを言うようになったなぁ、と感慨深く思った日でした。