読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人が変わるためには……

 人が自分の考えや行動を変えるには、どんなことが必要なのだろう。自らの覚え書きとして、以下のことを記しておこう。
 僕のこれまでの知見や経験からすると、人が変わるには以下の3つの場合があると思う。

  1. 自分が無知であることを理解すること
  2. 自分が危機的な状況にあることを理解すること
  3. 自分にとって憧れとなるものを見つけること

 1.について。僕はかつて教育センターに勤務していたことがある。その時に感じたことは、それまでの自分はいかに無知だったか、ということだ。高校での日々の授業をこなし、自分の授業に漠然とした不満を覚え、しかしそれを打破する方法を見いだすことができずにいた。この時、僕は自分でいやだなぁと思いながらも、これまでの授業スタイルを変えなかった。それが、教育センターに行って様々な授業のあり方や改善方法を知ることができた時、僕が痛感したのは「何と自分は無知だったのか」ということだ。もちろん、自分なりに読書はしていた。今よりもこの時の読書量の方ははるかに多いと思う。でも、それは自分の趣味や興味・関心を第一とした選書であり、授業のあり方を考えるために参考となるものではなかった。そして、無知であった僕は、世の中にそういった本があることさえ知らなかったのだ。だから、そうした本の存在を知った僕は、焦るかのように教育の専門書を買い求めていった。全部を読み切ることはできなかったが、その中のいくつかは読んだ。それが今の僕の血肉の一部になっている。だから、自分が無知であることを理解するのは、自分を変える大きなきっかけになり得る。でも、どうやれば自分の無知を自分で知ることができるのだろうか?
 2.について。自分が実は危機的な状況に置かれていることを、多くの人は実は知らない。聖書の詩篇23編に次の節がある。

たとい、死の影の谷を歩くことがあっても 私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
(聖書:詩篇23篇4節)

 これは、実は「死の影の谷を歩く」ような日々を送っているのにそれに気付いていないのだ、という人間の真の姿を僕に思わせる。しかし、自分が「死の影の谷」を歩いていることを理解できれば、人はそこから逃れようとするだろう。必死でそこから脱出することを図るだろう。それなのに、人が行動を起こさないのは、人が自分の危機的状況に気付いていないからだ。よって、自分が危機的状況にあることを理解できれば、人は自分を変えることができる。でも、どうやればそれを知ることができるのだろうか?
 3.について。自分が危機的状況にあることに気付いて、そこから逃れようと思ったとしても、いったいどこへ逃れたら良いのだろう? 危険なのは分かった。しかし、どこへ逃げれば良いのか? 多くの場合は、これを示すことができないと考える。この時、僕らを導くのは「憧れ」ではないか。こうなりたい、このようでありたい、こんな自分になりたい、この人のようになりたい、そうした想いは人にエネルギーを与える。人に活力を与える。行動しようとする力を与えるのだ。危機から脱出しなければという負の走性だけではなく、そちらへ行きたいと思わせる正の走性を刺激するものを僕らは持つべきではないか。では、そのために僕らはどうすれば良いのだろうか?
 こうして考えてくると、自分に合ったものを見いだす力を僕らは持つべきだと分かる。先日の公開講座でも、講師の吉田新一郎さんが述べておられた。リーディング・ワークショップでも、ライティング・ワークショップでも、最も必要なのは自分に合った本を選ぶ力、自分が書きたいことを見いだす力であり、それが7、8割を占める、と言っておられた。僕はそれを重く受け止めた。そして、どうやればその力を子どもたちにつけさせることができるのだろう、と考える。今、思いつく唯一のことは、「とにかくやらせてみること」だ。子どもたちに選書能力が乏しいのは、自分の書きたい題材を見いだすことが難しいのは、何よりも今までの教育がそうした機会を与えてこなかったからだ、と思う。上から与えられた題材、上から与えられた教科書、それについて書き、それについて読んで問いに答える、そんな授業ばかりを繰り返しているから、少なくとも学校の授業ではそうした力をつけさせてあげることができない。いきおい、子どもたちの自助努力に頼るしかない。そんな理不尽なことってあるだろうか?
 失敗など当たり前。初めからできる人などほとんどいない。試行錯誤、Try and Error. そして、それを鷹揚に見守る教師の姿勢。教師は子どもたちの力を信じて、子どもたちに任せて、学びを進めていく。こうしたことによってしか、子どもは自分に合った本や合った題材を見つけることはできないだろう。自分も、本当に面白いと思える大切な本に出会うまでに、実に様々な本を買い求め、読んだ。1度読んでもういいやと思ったものもある。そうした経験を続けて、初めて大切な本のいくつかに出会っていった。そのようにして選書能力は培われていくものだ。
 悲しむべきは、そうした鷹揚な時間を持つことができない現代の社会の姿である。効率の追求も大切だが、じっくりと本や用紙に向き合わせるのも大切ではないか。スローライフ、スロースタディ。僕らは少し生き急ぎすぎている。