現代文の茫洋さ

 今日は高校の非常勤講師として、今年度初めての授業を行ってきた。1年生の国語総合の現代文分野である。自己紹介の後、年間指導計画を説明した。その際、今年扱う予定の教材名を紹介し、教科書の目次に印をつけさせた。
 これをさせながら、いつも「現代文の茫洋さ」とでも言うべきものに襲われる。つまり、現代文は決して教科書に載っている文章を学ぶのではなく、教科書に載っている文章を素材とする文章の読み方を学ぶ科目だと考える。よって、年間指導計画で生徒たちに示すべきものは、これらの教材を用いて生徒たちが学び取るべき「文章の読み方」だろう。それが指導計画には示されていないので、何と現代文とは茫洋なものだろうと、説明しながら感じてしまうのだ。
 その穴埋め、というわけではないが、生徒たちには次に示す「優れた読み手が使っている8つの方法」を提示した。これを、1年間の授業を通して訓練し、身につけていこう、と呼びかけた。

  1. 自分や、他の読み物や、世界とのつながりを見いだす。
  2. イメージを描き出す。
  3. 質問をする。
  4. 著者が書いていないことを考える(行間を読む)。
  5. 何が大切かを見極め、他の人に説明する。
  6. 様々な情報を整理・統合して、自分なりの解釈や活かし方を考える。
  7. 自らの理解をチェックし、修正する。
  8. クリティカルに読む(様々な問いかけをしながら、自分なりの考えを持つ)。

(出典:吉田新一郎『「読む力」はこうしてつける』新評論、2010年)

 「読むこと」の学習とは、つまるところ、これらの方略を身につけることにあると考えている。そこで、これらを生徒に示し、さらに、これらの方略を自分がどれだけ使ったかを授業の終わりに毎回振り返らせていこうと考えている。こうすることで、生徒たちが自分自身の方略使用に対してメタ認知できるだろう。
 とはいうものの、何しろこんな授業の進め方は初めて行うものである。果たしてどこまでできるものか、また、どのように続けていけば良いものか、これから毎週、試行錯誤が続くだろう。いやはや、自分で自分自身に随分重い課題を背負わせたものだ。