STAP細胞に関する一連の報道に思う

 STAP細胞は今や風前の灯火のようである。小保方晴子氏を筆頭とする論文に疑問点が多く出され、筆者の小保方氏をはじめ、理研側からもはっきりとした見解が示されていない。共著者の一人は今日付の新聞によると、論文の撤回を著者たちに呼びかけているという。また、小保方氏の博士論文に関しても、コピペした部分が発見されたなどと、いろいろに批判が集中している。
 まずは小保方氏側は、こうした批判に対して毅然とした姿勢を示すべきだろう。万が一、非があるのならば、それを潔く認めて次善策を図るべきである。と同時に、こうした最先端の分野では、確実性ばかりを要求するのも無理があると思う。何しろ、一等賞のみが価値のある世界である。多少、確実性は犠牲にしても、まずは自らの発見した現象を報告するのが大切だろう。おそらく、小保方氏も何らかの新しい現象はつかんだのではないか。それを実証する手順に不備はあったのかもしれないが、ともかくも発表を急いだのではないだろうか。
 ここで思い出されるのは、フェルマーの定理を証明したアンドリュー・ワイルズのことである。ワイルズが最初に定理の証明を発表したとき、その証明法に誤りのあることが別の研究者によって指摘された。その時、ワイルズは一度証明を取り下げて、1年半以上もの時間をかけて証明の練り直しに取り組み、ある発想を思いついて、その証明を完成させたそうだ。そして、今度こそは間違いのないものとして、彼の名前は数学史に残ることになったのである。
 最先端の学問世界とは往々にしてそのようなものだ。発表した論文に誤りや不備が見つかることもあるだろう。しかし、そこで一度は退いて体制を整え、しっかりと実証を重ねて捲土重来することが必要だ。
 小保方氏にとっては辛い毎日だろう。彼女は一躍、アイドルか何かのように祭り上げられてしまった。おそらく彼女は、静かな研究環境、生活環境、プライベート環境の継続をこそ望んでいたはずだ。一時の報道の過熱ぶりに、私は密かに懸念を感じていた。今はまた、別の意味で懸念を感じる。どうか、あたら若い研究者の未来がつぶされることなく、健やかに成長・発展していくことを願う。間違いは誰にでもある。要は、その間違いにどう対処するかだ。そこに、その人の人間性が表れる。