読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読み聞かせと「音読バトル」

 今日は本来4コマの授業があるのだが、3年生は課題考査があるので授業が1つつぶれ、3コマの授業であった。古典が1つ、現代文が2つである。現代文は2つとも初めての授業のクラスであり、昨日来と同様の授業を行う。シラバスを示して今年1年の授業を概説し、今までの現代文の授業についての感想と今年1年間の授業への期待・要望を書いてもらう。
 生徒の書くそれらを読んでいて気づくのは、生徒たちは物語を切望している、ということだ。現代文の授業で印象に残っている作品名には小説が上がってくる。『こころ』が非常に多い。次に『山月記』か。また、その『こころ』の授業に際して、小グループで話し合いをしながら読み進めていったらしく、それが良かったという感想が非常に多い。やはりグループによる読解は彼らにとって強い印象を与えているようだ。また、もしかしたらそうした形態の授業が今までになかったものだったからかもしれない。これは、私の研究結果を早速生かすことができそうで、期待できるところである。
 その後、河合隼雄の紹介をする。その中で、『泣き虫ハァちゃん』の第1話「男だって、泣いてもええんよ」を読み聞かせする。今日の2クラスでも反応は微妙だった。まあ、何と反応して良いか分からないだろうね。小学校の時はともかく、おそらく高校に来て読み聞かせを受けるのは初めてのことだろう。正直、私も初めてである。読み終わった下の本によれば、高校生でも読み聞かせは効果的だと記されている。それを信じて、もう少し手探りで続けてみようか。

 「教室読み聞かせ」について非常に丁寧に、そして網羅して説明している良著である。特に第1章の読み聞かせについての理論整理が圧巻だ。筆者は修士論文においてこの読み聞かせを扱ったそうだが、その知見が存分に生きている。
 教室読み聞かせの意義と方法について丁寧に記している。素晴らしいなと思ったが、同時にまだそれでも高校の現場にそのまま応用するのには躊躇されるなと思った。筆者は中学校の教師である。筆者の取り組みは素晴らしいものだが、高校の現場では筆者の取り組みをそのまま当てはめるわけにはいかない要素が多々ある。この種の著作を読んで思うことが多いのは、本当の高等学校の現場に沿った実践が少ないなということである。高校現場はまだまだこうした取り組みを実施するには壁が多い。それは心理的な面もあるし、ハード的な面もある。高校という組織特有の要素もある。それらを含んで、身の丈より少しだけ背伸びをすれば手が届くような実践が欲しいものだ。この本の内容はまだまだ高嶺の花である。
 古典ではお得意の「音読バトル」を行った。これは今日、初めて命名した。扱っている教材は枕草子の「すさまじきもの」なのだが、これを生徒に音読させる際に、生徒全員を立たせ、音読をさせて早く読み終えたものから座る、というものだ。ただし、読んでいる途中でつっかえたら冒頭に戻る、というルールである。これをやると、何故だか生徒は燃える。音読に必死になる。今回はまず個人で練習し、ペアで練習した後、この音読バトルを行うことを告げ、5分間の作戦タイム(個人練習時間)を設け、その上で行った。いやはや生徒は存分に取り組んでくれた。その後で全員一斉で音読したが、とてもスムーズに読むことができた。
 古典の授業で音読はとても重要だと考えている。それを行うのに、少しはゲーム性を持たせた方が生徒は喜んで取り組んでくれる。それを新発田高校の生徒も実証してくれた。嬉しい。