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これは一種の「アウェー」感だ

 赴任して3日目、当然のことなのだけれど未だに慣れない。この現在の自分の状態をいろいろに分析しているのだが、これは一種の「アウェー」の感覚なのだと、はたと気づいた。
 もちろん、本来の「敵地に乗り込んで戦う」という意味ではない。同僚たちは私を暖かく迎え入れてくれている。赴任先には確かに私の座席がある。しかも、教務室と進路指導室の2カ所にある。私のポジションもある。私が果たすべき役割も、期待されている仕事も待っている。だが、今の私にはそれらがすべてこの身を苛むものとなっている。いったいこの状態は何なのだろうと考えてみたところ、これは一種の「アウェー」なのだと思ったのだ。より正確に言えば、ここは私の「ホーム」ではない、まだまだ「ホーム」にはなっていない、ということである。
 新しい校舎は大変斬新なデザインのものである。意外に教室は従来通りの発想で作られているが、スクールモールといい、折れ曲がった構造といい、大変斬新だ。これだけ斬新なデザインを採用するのなら、教室も斬新なものにすれば良いのに。例えばオープンルームにするとかね。ただ、それにはカリキュラム構造を大胆に変更しなければならないだろうな。聖籠中学校のように教科センター方式にすれば良いのに、と思う。高校は教科がより一層分化しているのだから、この方式をとるのは簡単だろうに。そうすると、大教務室などという構造もなくなり、科務室が散在することになる。進路指導室は残るだろうけれどね。
 とはいえ、残念ながらこの斬新な校舎のどこにも、私が心の底からリラックスして過ごすことのできる場所が1つもないのだ。誰かがいるから、いないからの問題ではない。何かがあるから、ないからの問題でもない。それは、この場所で過ごしたという歴史が、時間が、経験がないという問題である。この学校に赴任して3日間、個人的な歴史がないのは当然すぎることだ。だから、全くどうしようもない。ただひたすら、ここでの時間を過ごし、歴史を少しずつ積み重ねていくしかない。
 そう考えると、心から安らぐことのできる場所、それが「ホーム」なのだろう。それがどんなものであろうとも、どんなに貧相なものでも、自分自身が真に心を開き、自分の無防備な姿をさらけ出すことのできる場所、それが「ホーム」なのだ。言ってみれば、不登校の生徒たちはこの「ホーム」を何らかの要因で自らの教室に見出すことができなくなってしまったものなのだろうね。
 私は不登校のレベルまでは達しないが、それでも「ホーム」をまだ見出すことができず、「アウェー」での戦いを強いられている状態である。いやはや、辛い。9年前に新潟高校に赴任したときも、とにかくその所在なさに閉口した。あの時は4月3日まで勤務日で、4、5日と土日を挟んだはずである。所在なさに苦しんだのは3日間だったことを強烈に記憶しているからね。翌週の6日はもう生徒を迎える準備で学校中がドタバタしており、落ち込む暇がなかったはずだ。今年はともかくこの所在なさが5日間も続く。そのことも私の苦しみの原因であろう。素直に年休でも取って休めば良いのにね。だが、体を慣れさせるためと思って、無理して通勤を続けている。
 思えば、昨年も一昨年も新潟高校に新しく赴任した同僚たちがいたわけだ。そして、彼らもまた所在のなさを感じているのだろうなと心密かに同情し申し上げていた。私が特にその傾向が強いのかもしれないが、彼らの苦しみはこれほどのものだったのかと今になって深く理解する。もっとたくさん声をかけてあげた方が良かったかな。いや、そうした新しい同僚からの声も、嬉しいのだが、それに反応しなければならないことに心が疲れたりもする。もう、どうにもならないのだ。何かをしたからと言って、この所在なさが解消するものではない。ただ、心からの同情を持って、そっとしておいてもらうのが一番である。
 電車に乗って帰宅するのがだいたい18時40分頃である。家に着くとともかく疲れがどっと出る。今現在はここだけが私の「ホーム」である。肩に、胸中に、曰く言いがたい重荷を負う感がある。21時を過ぎた時点で、早々に寝てしまう。睡眠が唯一のエネルギー補填の方法だろう。疲れ果てた私を気遣い、風呂や食事などを万端整えてくれている妻に感謝、である。私に家事を手伝わせたいだろうに、今はそれを我慢してくれている。できるだけ早く今のこの状況に慣れて、妻にお返しをしたい。でも、本当に私は新しい環境に慣れるのが遅いんだよ。51歳にもなってこの環境の激変に見舞われるとは、全く辛いなぁ。
 O先生、Y先生、そちらはどうですか? 今度O先生に電話でもしてみようかな?