見学者の視線とクラッカーの音の中で

 さすがにここ数日、睡眠不足がたたっているのだろう、作業効率が下がってきた。眠くて仕方がない。昨夜は机で居眠りをしたり、5時頃に作業を切り上げて就寝したりした。うーむ、体力が落ちている。
 そんな中、今日は3コマの授業であった。文系現代文が2コマ、文系古典が1コマである。そのうち、午後に連続してあった古典と現代文は、市内の私立高校からの見学者を迎えた。本校における電子黒板の使用状況は当然だが他校から注目されている。その実際での使用状況を見学しに22名ほどの教員が来校されたのだ。そして、いくつかの教科で電子黒板を使用した授業が精力的に行われた。私は電子黒板を使わない授業はないくらいに、毎回活用している。そこで、午後2コマの古典と現代文の授業に、数人の見学者を迎えることとなった。なかなか緊張した。
 古典では「御法」の、紫の上と中宮のやりとりの場面から、風の強い秋の夕暮れに源氏が紫の上たちを訪れる場面へとつながっていく箇所である。紫の上が病状重く、やせてほっそりとしていながら美しさを失わない様子を、本文に即して訳出していく。こんな時に助動詞は実に細やかな表情を彩るものである。源氏の会話の部分の2つの「めり」の解釈について、生徒に聞きながら訳していった。今日は生徒たちも何となく乗っていて、気持ちよく授業を進めることができた。
 最後の5限は現代文の授業である。すでに見学者が教室の後ろに並んでおられる中、電子黒板の用意をしてチャイムが鳴って教壇に立つと、級長の号令のもとに「お誕生日おめでとうございます!」の声と拍手とクラッカーが鳴った。そう、今日は私の51歳の誕生日である。今朝、家族から誰もお祝いの言葉をかけてもらえず、ちょっと寂しい思いをしていた私にとって、これは本当に「サプライズ」である。このクラスは毎回の授業が非常に気持ちよく、リラックスして進めることのできるものである。そのせいか、どこからか私の誕生日を知ったらしく、こんなサプライズを用意してくれていた。いやぁ、嬉しいものである。そのおかげか、私も乗りに載って授業を進めた。
 この授業では電子黒板の機能を活かして、日本美術の作品、尾形光琳の「紅白梅図屏風絵」を大きく映し出し、この描き方の特徴について考えさせた。これが、桂離宮の世界にはない華麗さ、巨大さを表現したものと言えそうなことを理解して欲しかったのだ。そして、桂離宮の世界がそれとは対照的な、つまりは詩人の世界に通じるものであることを理解して欲しかった。生徒からは「抽象的」「リアルと虚構とが入り交じった世界」などという反応が出された。その辺りから、絵の中央にある川の流れや波を表現した波紋は何で描かれているかを聞いてみた。映像がはっきりしないもののせいか、あまり芳しい反応が生徒からは返ってこなかった。これは確か金箔か何かを用いた具材で描かれていたはずである。よってこの絵は「華麗さ」を理解するのに一番適していると思うのだが。はてさて、うまく行ったかな。
 生徒に誕生日を祝ってもらうのは久しぶりである。6年前の、最初の卒業させた卒業生たちが私の誕生日のSHRで「誕生日おめでとうございます」と言ってくれた。あの時は本当に嬉しかった。誕生日も悪くないなと思った。今日は、再びその思いをした。もはやこんな年になると、誕生日が来るのは逆に焦らせる気持ちがするものだが、今日は嬉しかった。ありがとう、3年3組の諸君!