多義図形を授業で使う

 今日は現代文が2コマ。そのうち1つはようやく「真実の百面相」の要約と文章構成の確認が終わった。授業がつぶれることが続き、4月の間ほとんどまともな授業ができなかった。これでやっと出発地点に立ったと言える。文章構成を確認した際に、この「真実の百面相」における筆者の意見に対する感想を自由に生徒に書かせた。多くは、筆者の意見に賛成できない、とするものだった。その理由の中に、「遠くから見て人影だと思ったものが近寄ったら岩だった」という例は、「科学的に考えれば「岩」は「岩」なので、筆者の主張は正しくない」という論調である。うーむ、これはなかなか困った状況だなぁ。まだまだ高校3年生の彼らは科学的思考法を絶対的なものと信じて疑わないのだなぁ、と実感させられた。単純というか、無邪気というか。哲学や思想やものの見方について少しでも本を読めば、科学的思考が極めて限られた特殊な思考法の一つであることは明白なのにね。こうした彼らの固定的観念を揺さぶることができるだけでも、この教材を選んだ価値はあるな。
 もう1つのクラスは既に第3段の読解に入っている。上記の具体例を検討しながら、筆者の「世界もまた百面相で現れる」という考えを理解させようと努力した。その過程で、筆者も例に挙げている「隠し絵」「ロールシャッハ図形」「反転図形」の具体的な例をインターネットから探してきて、生徒に印刷して示したり、A3版にコピーしたものを示したりした。生徒はこれらの具体例を見て、「様々な見え方をするその全てが真実だ」ということを体感的に理解してくれたようだ。
 本当はこれはプロジェクタで投影して示せば良いのだと思う。残念ながらプロジェクタが借り出し中で、私の時間では使えなかったのだが。もし使えたら、次の回転する女性のシルエットを見せてやりたかった。
  http://www.procreo.jp/labo/labo13.html
これはすごいですよ。最初は女性のシルエットが時計回りに回転しているように見えるのだが、そのうちふと、逆回りに回っているように見え出す。そしてまた元の回転に戻る。その繰り返しである。
 これらの例により、大森荘蔵は人間にとっての世界の認識について語っているのだと思う。人間が認識した世界は、その全てが真実だと言いたいのだろう。そこには、人間の認識こそが真実であるという考えがある。
 そんな中、ふと思い立って本を開き、読み終えた。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 私は酒を一滴も飲まないくせして、酒を造る過程や醸造所の探訪記などを見たり読んだりするのが好きである。特に、ワイン造りやウィスキー造りの話は好きだ。この本は、それに加えて村上春樹による探訪エッセイである。面白くないわけがない。そこで私はこの本の単行本も持っているし、文庫本も持っている。何回か読んで、その度にある感銘を受ける。
 これを読んで、何だか作者と一緒に蒸留所を訪問しているような気がするから不思議だ。ただ、あまり飲み過ぎて身体をこわさないで欲しいね(そんな心配は、村上春樹の場合無用だろうが)。