新年度の準備

 明日の始業式・入学式を控え、今日は新年度準備の1日である。まずは3学年全員で教室整備を行う。机の数を調整したり、ロッカーの状況を確認したりする。私は副任なのでそんなに出しゃばってはいけないのだろうが、それでも学年の一員として少しばかり机の運搬などのお手伝いをする。教室はどれもきれいに整っていた。生徒諸君を迎える準備は万端である。(^_^)
 3年生の教室はいろいろな思い出に満ちている。6年前に卒業させた生徒たちと一緒に戦った3年8組の教室や、3年前に涙と共に別れていった3年1組の教室など、教室の様子を見るたびにその時のことが思い出される。「場所の記憶」のようなものをひしひしと感じる。やはり3学年というこの1年間は他学年とは違う独特の特徴を持っているのだろう。こちらの、その学年に対するエネルギーの注ぎ方も尋常ではない。こちらが思いを込めに込めているからこそ、そしてその思いにしっかりと応えてくれた3年生たちだったからこそ、この場所の記憶が醸成されているのだろう。あぁ、また3年生が始まるなぁ。
 その後は生徒への配布物の準備をしたり、午後には教科会議の続きや3学年教科担当者会議などがある。これで話し合いをすべきことはだいたい終わったかな。
 それらの合間を縫って、学会の発表要旨原稿を書き上げ、郵送する。A4用紙4枚分しかないのだが、本当にこれを書くのに大変に苦労した。期間が短かったのもあるが、かといって期間が十分に長ければ余裕を持って書けるかというとそうでもあるまい。つまりは論文形式の文章を書くということへの訓練をすることになるから時間がかかるのだと思う。
 研究者になるということは、ある意味で「アカデミック・ライティングができるようになる」ということではないか。アカデミック・ライティングは大学生になって学ぶことだが、それが本当に自分自身のスキルとして定着しているのが研究者ではないのだろうか。研究者の第一の定義は「研究業績を持っていること」である。その研究業績とは査読論文を持っていることであり、学会発表を行っていることである。それらのためには論文を書かなければならず、つまりはアカデミック・ライティングを身につけていることになるだろう。無論、論文を書かない研究者もいるだろうけれどね。
 確かにアカデミック・ライティングは大学に入ってから学ぶことであろう。だが、その基礎的なことは高校段階において学ばせるべきではないか。「小論文」というものが世に存在しているのは、そうしたアカデミック・ライティングを高校生もできるようになっていて欲しい、という願いの表れである。
 かといって、何も特別なことをしよう、というのではない。要は、(1)自らの問いを持つこと、(2)根拠に基づいて問いへの答えを持つこと、(3)それを「問題提起」「本論」「結論」の3部構成で書けるようになること、に尽きるだろう。だが、これらは意識してそういう考え方をし、実践していこうとしなければなかなか身につくものではない。今年の授業では、こう言ったことをテーマにしていこうかなぁ。生徒にインプットばかりをさせるのではなく、アウトプットをしっかりと要求し、評価していくことである。「書くために読む」の実践である。もっとも、これらが私自身の研究につながっていなければならないけれどね。
 徹夜明けの寝不足の頭で、こんなことを考えた。