2日間、呆けて過ごす

 土曜日に学会参加と大学院の授業を終えて帰り、その後の連休である。今年の正月はこの2つの仕事に対する対応と論文執筆に忙殺されていたので、何だかようやく正月が来たような気分である。本来ならば、昨日・今日と行われている東京での聖書学び会に参加するのだが、果たして居眠りせずに学びを聞けるかどうか心許ないので(妻からは確信を持ってそう言われたので)、今年はぐっとがまんして大人しく過ごす。
 それでも昨日は定期の集会に集っていた。今日は、子どもたちが冬休みの最後なので、宿題をやるのを手伝ったり、書き初め指導をしている妻のために私が食器を洗ったり、三男の世話をしたりして過ごした。今までできなかったことを取り返しているようなものだ。

iPhone 4Sを予約する

 それらを終えて、かねてからの予定通り、近所のソフトバンクに赴き、使っているiPhone G3を4Sに機種変更する手続きをした。G3は黒なのだが、4Sは白にした。どちらも捨てがたいのだが、まあ気分を変えて、というわけである。容量は16GB。今のG3と同じである。
 しかし、ソフトバンクはちゃっかりとした経営をしている。今までの私のG3の料金プランはデータ通信費が最低料金から最高料金までの変動制のものであった。しかし、今回のキャンペーンを利用して4Sに機種変更する場合、今のままの料金プランだと機種代分の割引が減額される、というのだ。機種代分全部を割引してもらうためには定額料金プランに変更しなければならない。うーん、ちゃっかりしているなぁ。もっとも、私は毎月データ通信費を最高限度額まで使い切っているので、少なくとも今まで通りの使い方をしている限り、支払う料金はこれまでと変わりないのだけれどね。でも、自由を減じられたみたいで、何となく損をした気分である。

DVD鑑賞

 よせばいいのに、昨日夜に借りていたDVDを一気に観た。おかげで昨夜寝たのは午前4時である。おいおい、呆けるのもいい加減にしてくれよ。(^^ゞ

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2 [DVD]

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2 [DVD]

 ハリー・ポッターシリーズの最終版を、今度は妻と長男と一緒に観た。私としては2度目である。前回気付かなかった部分にいくつか気付いた。双子の兄弟の片方がちゃんと死んでいた。でも、あの表現では誰が死んで、悲しんでいるのかすぐには分かるまい。物語の中ではかなり大事な場面なのだけれどねぇ。また、ルーピン夫妻の死もちょっと軽く扱われすぎている。どうも、原作の印象的な場面が省略されているのは、仕方ないこととはいえ、残念だ。
 とはいえ、やはり映像化された物語世界は面白く、楽しめた。悪くない。 観ました。ついに。正直、観なければ良かった、と思った。ちょっと残念な作品である。新海誠監督にしては、ずいぶん安易な作品を作ってしまったな、という感想を持った。
 ストーリーとしては冥界探索譚である。イザナギイザナミを尋ねに死の国に行く、あるいはオルフェが妻を取り戻しに黄泉の国に行くのと同じ構造をしている。
 主人公のアスナが地下世界から来た少年であるシュンと出会う。が、シュンは実は死期の近いことを悟っていて、地上世界が見たくてやって来たところをアスナと出会うわけだ。そこでアスナはシュンに再び会うために、同じく亡妻を取り戻そうとしている先生と一緒に地下世界を旅する。そこで、シュンの弟であるシンと出会い、彼と関わりながら旅を続ける。その中でずいぶん危険な目にあうのだが間一髪で難を逃れ、ついに生と死の狭間にやってくる。先生は亡妻の霊を取り戻したのだが、それを入れる肉体として、その場に行き会ったアスナの身体を使ってしまう。亡妻を取り戻した先生。しかし、シンがそれを阻み、アスナは元に戻り、亡妻は再び死の世界に戻ってしまう。そしてアスナもシュンと二度とは会えないことを悟るのだ。
 ストーリーとしては悪くないのだが、地下世界に入った辺りからどうもこれは様子が違うと思えてくる。宮崎アニメを彷彿とさせる場面が何度も何度も出て来るのだ。最初に、猫がアスナにまとわりつくのだが、これが彼女の肩に乗る。この辺りからナウシカを思い出させて、あれっと思わせる。地下世界に入ると、訪れる場所が廃墟だったりし、人が住む村には巨大な風車がある。おいおい、ますますナウシカである。同時にそれはゲド戦記も陥った風景だ。そして、アスナが地下深く降りていく際に持っていた石が光るのだが、これはラピュタの冒頭などを思い出させる。などなどなど、何だか宮崎アニメの安っぽい作り直しを見させられているような気になってくる。
 新海監督らしく、映像は恐ろしくきれいである。自然描写が秀逸で、特に空の様子、星空の様子が目を見張るほど美しい。これは新海誠の強烈な力であり、『雲のむこう、約束の場所』や『秒速五センチメートル』でも遺憾なく発揮された力だ。これはこの作品でも健在で、地下世界の不思議な風景にリアリティを豊かに与えている。しかし、場面のパターンがあまりに既視感があるため、どうもこの作品に入り込めない。Amazonのカスタマーの感想の中に、「宮崎アニメを彷彿とさせる場面が多い」と書かれていたのも頷ける。
 『コクリコ坂から』の宮崎吾朗は、『ゲド戦記』での失敗を見事に克服して見せた。『ゲド戦記』では偉大なる父の作品の寄せ集めのような映像を作ってしまった彼も、『コクリコ坂から』では独自の映像世界を作り出すことができた。
 新海誠は最初から独自の映像世界を作り出し得た監督である。その彼が、ファンタジーを作るとなると宮崎アニメに囚われてしまうとは、ちょっと寂しいことである。それだけ宮崎アニメが強烈な力を持っているということか。しかし、それではいつまで経っても宮崎駿は休むことができまい。独自のファンタジー世界を作り出せる作家の登場が待たれているのではないだろうか。