新年度への準備(その1)

 三連休であったわけだが、何だか忙しく過ごした。土曜日の午前は久しぶりに家にいたが、私の場合、家にいると忙しくなる。子どもの世話をしたり、家事をしたりで過ごす。
 日曜日は朝に理数科連合のアメリカ研修に旅立つ生徒たちを見送りに行く。だが、それもそこそこに帰り、すぐに娘の幼稚園の卒園式に向かう。何しろ乳飲み子がいるので、家内は乳飲み子と一緒に行動しなければならず、そうなると私の方が卒園式に出席することになるのだ。本当に、娘の幼稚園行事にはよく出席するなぁ。巡り合わせなのだが。卒園式は、意外に平静に過ごすことができた。もう最近は卒業の場面になると涙が止まらず、まともな自分でいられなくなっている。でも、この卒園式は、自分の娘であるにもかかわらず、ほぼ平静でいることができた。それも、幼稚園の方針によるところが多い。シュタイナー教育を取り入れているこの幼稚園は、単なる幼稚園の思い出を振り返る、という形のものではなく、子どもたちは「球根」であり、芽を出し、根っこを張り、大きく大きく芽を伸ばし、葉を広げ、そして大人になったら花を咲かせる、というものとしてとらえ、それを子どもたちにお遊戯の形で表現させている。これは非常に素晴らしいものだ。思い出を振り返ることは、親には意味があることだろうが、子どもたち本人にとっては何の意味も持たないものだ。しかし、こうした身体の動きを伴い、友だちたちと一緒に表現する自分たちの成長は、おそらくは記憶されなくても、彼らの心に影響を与えるはずである。うーむ、さすがはシュタイナーである。この幼稚園が、シュタイナー教育を取り入れているがゆえに、何か変な噂が流れているそうなのは、非常に残念なことだ。
 月曜日は、明日、その娘の机が搬入されるので、机の場所を確保するために家の大掃除を行った。しかし、午前中は次男のたまりまくった学習プリントをやらせるのに時間がかかった。大掃除は午後にずれ込んでいった。いろいろ子どもたちに指示をしながら、それでも少しずつ片づいていって、夕方には何とか机を運び入れるスペースを確保するのに成功した。やれやれ。でも、いかに不必要なものが多く家の中にあるか、ということだよなぁ。私の部屋にもそれは当てはまるだろう。こっちも大掃除したいものだ。その前に、教務室の私の机の周りを片付けるのが大変なのだが。