『獣の奏者』の結末について

 以下、未読の方はスルーしてください!
 未読の方のためにあまり詳しくは書かないが、土曜日読み終えて以来、折に触れてあの結末の意味を考えている。そして、作者がどうしてあの結末を選んだのか、少々疑問に思えてきた。
 あの結末が本当にすべての問題の解決になるのだろうか。確かに王獣たちを野に放つという願いはかなったわけだが、しかしそのために払われた犠牲はねぇ……。それは究極の解決法であるが、果たしてそれで良いのかな?
 例えば、『風の谷のナウシカ』漫画版では、ナウシカは人為的に改変された自然(また自分たち人間)の行く末を、彼女自身が見届ける。それは苦しく辛い過程だろう。しかし、それはまた彼女にふさわしい態度である。自らの決断によって人類の以前の姿を取り戻すという道を閉ざしたナウシカである。彼女はいわば、旧世界にとっては悪魔の化身であろう。しかし、たとえ人為的に作り出された命であっても、どんな命にも自らを決して生きる権利がある、というのが彼女の下した決断だ。そのために、改変以前の人間の姿を伝える業をナウシカは握りつぶしてしまう。そして、その人類の行く末を、彼女は自らの命の限り見届けようとするのだ。それが、世界に対する、あるいは人類に対する決定的な決断をした者の、取るべき態度ではないだろうか。自らの決断の結果を最後まで見届ける。それがどんなに辛くとも、それが責任の取り方である。
 エリンの結末は果たしてそうした態度だったろうか。エリンが果たした役割とは、人類全体とまでは行かないかもしれないが、世界のあり方を変える意味ではナウシカと相通ずるものがある。であれば、エリンにはたとえどういう形にしろ、自らが下した判断の行く末をもっと長く見届け続けてもらいたかったなぁ。
 何にせよ、こんなことを考えさせるほど、物語のエネルギーは強烈だったのだけれど。