はまりまくる授業

 今日は7組の現代文と9組の古典の授業があった。古典の方はテストを返して、その後は変格活用の動詞を教える。
 現代文は、羅生門がいよいよ佳境に入っているせいか、授業の狙いと生徒の反応とがこちらの予定・予測通りにはまっており、非常にエキサイティングである。今年の羅生門の授業は、4つに区切った場面ごとの重要理解事項を明確に設定してから授業に臨んでいる。今回の「山場の部1」ではその重要事項が2つある。

  1. 下人の二つの「憎悪」、つまり老婆の行為を見た時の憎悪と老婆からその行為の理由を聞いた後の憎悪の違いを明らかにすること
  2. 下人が「老婆が何をしていたのか」を聞きたがっている理由

 最初の問題は、前の憎悪が「悪に対する怒りの憎悪」であるのに対し、後の憎悪は「つまらない理由に対する侮蔑の憎悪」である。これを生徒に考えさせ、板書させて皆で検討する。まだ生徒は自分の勝手な読み込みから答えを導き出そうとする。そこで、授業の種明かしをする。この質問は文章表現を正確に読み取って解答する問題なのだと。そう言ってから、生徒の解答を修正する。
 次の問題は、生徒にどんどん指名しながら確認をしていった。この問題は次の3つの質問の連鎖になっている。

    1. 下人が「旅の者だ」と自分を偽ったのは何故か。
    2. 下人が「平凡な答えに失望した」のは何故か。
    3. では、下人はどのような答えなら満足したと考えられるか。

 1番目の答えは、「自分を老婆の利害に関係しない者と装うことにより、老婆の警戒心を解いて、老婆の行為の理由を聞こうとしたから」などである。これは複数の生徒から解答が出た。
 2番目の答えは、「異常な状態にふさわしい異常な理由を、下人は無意識のうちに期待していたので、その期待が外れたから」となる。これも複数の生徒が解答してくれた。もちろんこの時点でも少し的が外れた答えをする者がいる。その良いところを認めつつ、文章の表現を根拠にして予定した答えへと導いていく。
 3番目はいろいろ解答が出て楽しかった。

    • 髪を抜いた女に復讐するため → 原典では、髪を抜かれている女は老婆の主人である
    • 人の肉を食べようとしていたため
    • 髪を抜かれている女が「髪を抜いてくれ」と頼んでいたため → まるで「最後の恐竜ティラン」みたいである

 などの解答であった。
 2番目の解答が出てきた時は嬉しかった。私はこの説を支持する。そして、これを説明するために、冒頭部分の読み取りの時に「この日は羅生門の回りに『からすがいない』」ということを注目させておいたのだ。
 羅生門のからすは死人の肉を啄むために来ている。しかし、この日はからすがいない。何故か? その解答は「からすの代わりに老婆がいるから」である。つまり、老婆が死人を啄むのである。といっても、実際は死人の髪を抜くだけである。だが、その行為は死人の肉を啄むのと似た行為である。また、老婆の声が「からすの鳴くような声」という描写もある。よって、老婆は死人の肉を食べるためにいた、ということを下人が予期していたという解釈は妥当性があると思うのである。
 私はこれらの解釈を『生徒の読んだ羅生門』から学んだ。でも、生徒は何の参考図書も持たずに、この解釈にたどり着いてくれたのである。いやぁ、すごいね。集団で読むという行為は、このようにして素晴らしく深い読みにまで到達できる。授業って、本当に楽しいものですね。