1年の始動

 2016年が始まり、今日はその仕事始めである。私は今日から仕事を再開する予定にしており、午前中から研究室に来て仕事を開始した。とはいえ、今日やったのは、非常勤講師を務める高校で担当している授業の準備(の準備)である。短大は7日(木)から始まるが、高校は6日(水)から始まる。そして、その初日に私の授業があるのだ。そこで、他の先生方より少し早く授業準備を始めた。
 高校1年生の授業を担当している。国語総合(現代文分野)である。これから扱うのは小説教材で、南木佳士の「ウサギ」である。初めて読んだのだが、なかなか面白い。しかし、これを使って授業を行うとなると、なかなか扱いが難しいと思う。当たり前だが、小説は答えが中に示されていない。主人公の思いも、清子の思いや死の理由も、本文には明確に示されていない。答えがないものを教えることについて、いつも最初は戸惑いを感じる。評論教材も多少そうした面があるのだが、高校の授業で小説を教える場合に一体何を教えるのかなと、何度自分に問いかけたかわからない問いを今回もまたするのである。その度に、いやいや、それが国語だよな、と思う。国語は答えを教える教科ではない。生徒が答えを生み出す力を与える教科なのだろう。よって、明確な解答を与えてくれない小説教材は、やはり扱うのに意味があるのだろう。どうやってこれを料理しようかと、毎回途方にくれるのだけれどもね。教える方の身としては。
 一度、高校生たち自身に問いかけてみようかな。「この小説を授業で読んで、一体何の役に立つと思う?」と。また、「小説を授業で読むことで、自分にどんな力をつけたいと思う?」と。自らが学ぶ意味を自覚することは、学習者にとってとても大切なことだろう。小説自体は読んで面白く、へぇ〜と思う。「ああ、面白かった!」だけで済ませて何が悪い。でも、それを授業で取り上げ、40名前後の同世代の者たちと一緒に読み、考え、交流しあうことが、生徒自身にとってどんな意味があるのか、それを生徒自身が自覚していることがとても大切なのではないかな。
 今、『たった一つを変えるだけ クラスも教師も自立する「質問づくり」』という本を読み進めている。教師が生徒に問いかける(発問する)のではなく、生徒自身が問いを作ることを主とした授業をすることを提案している本だと理解している。まだ読み始めで、どのような授業なのか、高校や短大の国語の授業でどのように具体的に展開するのかなど、肝心なところがわからない。でも、大切なことを気づかせてくれそうな、良い本だと思っている。冬休み中にもっと読み進めたかったなぁ。問いかけることの重要性を、この本から学んでいきたい。そして、それを基にした授業を構想したい。

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」