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2年目の安心感

 今日は金曜日だが、本学は曜日調整で水曜授業が行われている。ただ、通常の金曜日は私は大忙しの日になる。授業が1〜3限と連続するのだ。2限でお昼休みをはさむけれど、午前中はすべて授業で埋まり、午後も14時30分まで授業である。前期は必ずこうなるのであり、金曜日は私にとっては負担の多い曜日である。そのせいかどうか、昨年はこの時期に顔面神経麻痺を発症し、顔の左半分が動かなくなってしまった。環境の変化が肉体にこれほどまでの影響を与えるものかと、驚いたものである。
 今年も3連続の授業がある金曜日なのだが、しかし、今年は昨年よりもずっと余裕がある。もちろん、授業の内容は昨年のものを見直しているし、3限の授業は内容は全く新しくした。それでも心理的にか物理的にか、余裕があるのだ。これには少々意外な感がある。
 考えてみると、昨年は1年目であり、短大での授業というものをどのように行ったら良いか、完全に日々手探りの状態で進めていった。この「先が読めない」ということが、私にとってはかなりのストレスになっていたようだ。どれだけ準備をしたらよいか分からないし、授業もどのように進めたら良いか、内容は足りるのか、学生の反応はどのようなものなのか、さっぱり見当も付かない。本当に暗中模索だった。それが、今年は授業の内容を変えてはいるものの、ある程度「先が読める」のだ。学生は昨年教えたメンバーが半分いるし、彼らがどう反応するかも予測が付く。どの程度準備したらよいのかの見通しも立つ。それが、たとえ新顔の1年生相手であっても、ある程度の予測をつけながら授業を準備し、実施することができる。いやはや、1年間の経験を積んだということは思う以上に人間に安心感を与えるものだ。
 この「先が読める」ということは、教員ばかりでなく学生にも生徒にとっても重要なことなのだろう。自分の学びが何につながるのか、今日の授業では何を自分は学ぶのか、何を考え、何について発言すれば良いのか、これらのことを事前に知っているのと知らないのとでは、学びの質に差が生じると思う。授業を組み立てていく際に、この視点を忘れてはいけないな、と思う。