大学の授業と高校の授業との違い

 先週の金曜日、短大での初の授業がありました。しかも3コマ連続! おっかなびっくりのにわか短大教師としては、あまりにむごい洗礼です。(^_^;) 2年生の「言葉指導法II」と1年生の「教養I(国語)」を行いました。この授業は、どちらもオリエンテーション的な内容なので、あまり詳しいことは申しますまい。ともかく、初めての授業で緊張しました。
 昨日(14日)は2年生のゼミがありました。峰本ゼミの始動です。基本的に希望者が集まりますが、定員をはみ出た場合は調整が入ります。私のゼミは定員ぴったりで、よかったと思います。こちらもオリエンテーションとゼミ内の役員を決めることが中心でした。本格的な始動は来週から。このゼミでは、メンバーの情報交換を行うために「サイボウズLive」を活用しようと思っています。一昨年に大学院に在籍していた際にも使いましたが、この時はあまり活発な使い方はできませんでした。今回はどうでしょうか? できれば、1年生のアドバイザー・グループでも使いたいですね。1年生はゼミではなく、アドバイザー・グループという形で、それぞれの教員が学生の面倒を見ます。こちらは名簿順に均等に割り振られます。そして、時間割の中に決められた時間はありません。
 さて、大学・短大の授業を少しずつ始めて、高校の授業とは違った面があることに気づきました。大学の授業は、高校のように他の教員と統一した「進度」というものが存在しない、ということです。高校では1つの学年の国語を複数の教員が担当します。違う教員が教えますが、原則的に教えている内容はどのクラスも同じという建前があります。そこで、ほぼ同じ「進度」で授業は進まねばならず、勢い、他の教員が今どのようなことをやっているかについて関心を持たざるを得ません。そして、授業の質は他の教員の授業との比較によってある程度評価されます。共通テストを実施して、自分のクラスが点数が低ければ、それは自分の授業の質に問題がある可能性が高いです。
 しかし、大学の授業では他の教員と歩調を合わせるという必要がありません。1種類の授業は原則として1人の教員が担当します。その教員が内容も進度もすべて掌握し、決定します。したがって、教員同士では他の教員が今どんな授業を行っているかについて情報交換する機会が決定的に存在しません。FDとして意識的に情報交換をしない限り、他の教員の授業を見る機会もありません。よって、ここの授業の質を他の教員の授業と比較して評価するということができません。何しろ全く違う内容の授業をやっているのですから、比較のしようがありません。そこで、大学の授業の質を評価するのが、受講している学生の授業評価ということになります。
 こう考えてくると、大学の授業を担当するというのは責任の重いことなのだなぁ、と思います。その大学のその講義の内容と質は、担当している教員にすべて委ねられます。私で言えば、幼児教育科の国語関連の授業の内容と質は、私の考えて実施することにすべて負います。自由にどんなことでもできる代わりに、その質の維持には強い意識付けを持っていなければなりません。なかなか責任の重いことです。学生は国語関連では私の授業しか受けることができないのですからね。責任があります。
 空き時間に一生懸命に授業準備をしています。まずは、先週の授業で学生に書いてもらったリフレクション・ペーパーを読むことから始めています。最初だから、学生も期待であふれています。これが失望に終わらないよう、頑張っていかねばなりません。