合格者発表であった

 今週は火曜日に高校入試があり、木曜日に合格者発表があった。中学3年生の初々しい姿を見、その喜ぶ顔を見て、何だかこちらもすがすがしい気持ちになってくる。現高校生がすがすがしくないわけではないが、それでも緊張して試験に臨む姿、合格を確認して喜び勇んでくる顔を見ていると、やはりこちらも嬉しくなる。特に、今年は合格者の受付業務に携わっていたので、合格して受験票を片手に受付に駆け込んでくる中学3年生を目の当たりにした。その彼らの姿はやはり初々しく、すがすがしい。彼らがこの高校に入学してくるのだと思うと、新年度に向けての希望が一気に膨らんでくる。いいねぇ、春は。
 もちろん、この春を味わうことができずに寂しい思いで帰る者もいる。仕方がないこととは言え、可哀想である。だが、ここまで何とか生きてきた人生経験から言うと、その時には自分自身を否定されたような大きな敗北を味わっても、決して自分自身は傷付けられていない、ということは確実だ。失敗も一つの大切な経験である。それは、成功した人には味わうことのできない経験であり、その経験は、おそらく間違いなく、味わわないよりは味わった方が良い種類のものだ。
 このことは現高校3年生にも言える。失敗して、捲土重来を期してもう1年間頑張ってみる。それはおそらく大事なチャンスだ。今年1年間ではできなかったことをもう一度やり直せる。できなかったこと、不十分だったことをチェックし、自分に何が身につき、何が不足していたのかを確認した上で対策を練る。そして、それを実行に移す。プラン−実行−チェック−評価のサイクルを回していき、自らをもう一段別のステージに引き上げる。その、得がたいチャンスを得ることができるのだ。ある意味でとても恵まれていると思う。もちろん、そのチャンスに挑戦できる経済的・精神的支援をしてくれる保護者の方に深い感謝の気持ちを持つべきであるが。
 高校入試を終えると、新しい風が吹き始める。
  袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ(紀貫之
 立春の歌であり、季節外れの引用である。しかし、ここ新潟においては今のこの時期がむしろ体感的に合致している。固く凍り付いていた時間が緩やかに流れ出し、新しい時間へと動き始めるようだ。合格者たちの顔を見て、似合わないながらもこの歌を思い出した。