前任校の卒業式であった

 今日は前任校の卒業式だった。現任校に移動してもうすぐ1年が経とうとしている。ありがたいことに、当初はどうにも慣れなかった新しい環境にも少しずつ慣れ、今ではかなり自由にふるまうことができている。それでも、9年間勤め続けた前任校は愛着があるし、何と言っても母校だし、ということで、卒業式に出席することにした。
 通い慣れた通勤路を歩くときは不思議な気持ちになった。強烈な既視感にも似たこの感覚は、通勤路を歩くことを体自体が覚えているのだな、と改めて思わせられた。校門を入り、校舎内にほぼ1年ぶりに足を踏み入れたときも同じだ。ほぼ毎日見ていた中庭の様子、霜鳥芸術家の鉄のオブジェ……。晴天にも恵まれたうららかな陽光に照らされた中庭はとてもリラックスしているようだった。こちらの気持ちまで励まされるようだ。
 同じく来賓として招かれた前任者たちと挨拶を交わし、式場へと向かう。式は慣れ親しんだ次第に沿って、粛々と行われた。担任の呼名による生徒たちの起立、学校長の祝辞、在校生の送辞、卒業生の答辞、どれもなかなかのものである。ちょっと背伸びしているふうが見受けられるのは仕方がないかな。この学校の送辞・答辞は毎年見物・聞き物だからね。生徒もそれは身構えるだろうか。
 何と言っても圧巻なのが、卒業生と在校生とによるエールの交換だ。応援団の世代交代シーンでもある。応援団の先導の下、卒業生が在校生にエールを送り、新しい応援団の先導によって、在校生が卒業生にエールを送る。式場の空気が音の振動で震えるくらいの戦慄が走る。そして、在校生の応援歌に送られて、卒業生たちが退場していく。何回見ても胸の詰まる、素晴らしいシーンである。これで10回見ることができたわけだ。いやはや、やはり来てよかったね。
 その後は現在勤務している元同僚たちに挨拶をし、話をし、親しい仲間と食事を一緒にする。この感覚がたまらなく嬉しい。旧交を温めることができたことを感謝しよう。
 いつも、「場所の力学」をこの学校では思わせられる。人が大切な時間を過ごしたその場所は、それ特有の記憶を持つのだ。そしてその場所を再び訪れたとき、その時の記憶が強烈な勢いで胸中によみがえってくる。それはもう、圧倒的な力だ。それを、この学校・校舎では随所に感じる。今日も久しぶりにその力学を感じてきた。改めて、この力を味わうことができる自分自身を幸せに思う。