教育実習事前指導と歓送迎会

 今日は1限に身体測定があり、そのために授業が何もなかった。いや、年度当初は午後に授業があったのだが、担当者に頼んで午後のコマを空けてもらったのだ。金曜日の午後、私は新潟大学教育学部に行き、教育実習事前指導の講義を担当することになった。といっても、5月10日までの週1回、4日間のみである。ただ、1日に講義を2コマ担当するので、全部で7コマの講義ということになる。これを行うために金曜日の午後を空けてもらうようお願いしたら、金曜日は授業が1コマだけになり、その分、他の4日間のうち4コマ入るのが3回になってしまった。これは結構きつい。
 普段は乗らない時間帯の電車に乗り、自宅でちょっと休息を取ってから新潟大学に赴く。今日は1コマのみである。11人の3年生の学生が迎えてくれた。彼らに、まずはウォーミングアップとして、名前と「最近よかったこと」を1つ上げてもらいながら自己紹介してもらった。さすがは国語専修の大学生である、すらすらとよどみなく自分を開示してくれる。これは能力の高い学生たちだと思った。その後、学習指導案作成のポイントを少し講義し、次に11人の学生を4人ずつ3グループに分ける。そして、事前に選んでおいた6つの教材を渡し、グループとしてどの教材を扱うか選ばせた。結果、1つは評論、2つは小説を選んでくれた。来週までに各自で学習指導案を作成して来させ、来週はそれをつきあわせながらグループとしての学習指導案を作成させるつもりである。
 来週は2コマの講義だ。当然ながら大学の講義は90分間である。でも、こちらの方が1つのまとまったことをやるのに十分だね。55分授業がいかにせせこましいかを痛感する。新潟高校の65分授業は、中途半端だが、でもまとまったことをやることができた。私はそれを愛していたのだが。ただ、今の新潟高校も今年から55分授業を採用することになった。何とも残念である。
 講義を終え、そそくさと「イタリア軒」に臨む。今日は新潟高校の歓送迎会なのである。宴会嫌いな私だが、この歓送迎会だけは離任される先生方と会える最後の機会なので、時々参加していた。それが、いよいよ自分が送り出される立場になったわけである。切ないものがある。まずは退職された方々へのセレモニーだ。校長が紹介し、お二人の退職者が挨拶をする。その次に転任者のセレモニーである。校長の素っ気ない紹介の後、代表者の挨拶があった。前副校長が挨拶をされたのだが、この方が私と同年齢なのにユーモアの感覚のある方で、会場を和ませるすてきなスピーチをされた。その後、恒例の花束贈呈、餞別贈呈である。同じ国語科の同僚からいただいた。続いて新任者を迎えるセレモニーである。
 その後、歓談の時間になったのだが、いやはやこの時間の過ぎるのが早かった。今まではこの時間をつぶすのに非常に苦労していたのだが、さすがに転任者の立場になるとひっきりなしに同僚の方々が話しかけにきてくれて、それに対応しているとあっという間に時間が経ってしまう。特に、私が博士号を取得したことに関心を持ってくれる方が何人かいて、私の研究について質問を受けた。研究するということに対して関心はあるのだなと少し嬉しくなる。
 本当にあっという間に時間が過ぎ、もうお開きの時間となった。恒例の応援歌「丈夫」の斉唱である。考えてみると、この「丈夫」をこんなに大きな声で大勢と一緒に歌うのは最後なのだな、と気づいて切なくなった。大きな声で歌った。いい「丈夫」だった。
 同僚たちが作るアーチをくぐり抜けて、会場を後にする。名残惜しくずっと残っている。そして、国語科の同僚たちと2次会に繰り出した。私にはきわめてめずらしい行動である。それだけ離れがたいのだよ。そして、いかに新潟高校の人々となじんでいたかなのだよ。いろいろ話をしたが、私は主に聞き役に回る。これまたあっという間に時間が過ぎ、午後11時過ぎに帰宅した。
 これで、新潟高校とのつながりも一つずつ終わっていくな。後は国語科の歓送迎会を残すだけだ。でも、同時にもはやあの高校は「私のいない新潟高校」として独自の歩みを開始していることも確認した。私の愛する新潟高校は、そろそろ私の思い出の中にのみ存在するものとなりつつある。当然のこととはいえ、深い寂しさを覚えずにはいられない。
 そんな中、この本を読み終えた。

逆立ち日本論 (新潮選書)

逆立ち日本論 (新潮選書)

 通勤読書が快調である。この本も、月初めに読み始めて、もう読み終えた。私にしては早いペースだ。養老孟司内田樹の対談本である。興に任せて勝手に話がどんどん展開していくが、所々に鋭い指摘がある。読んでいて非常に面白い。
 さて、また新発田高校教諭としての日常に戻るか。明日の午前中はバドミントン部の顧問として練習を見なければならない。とはいえ、ついているだけだけれどね。土曜日の勤務は久しぶりだなぁ。