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これを喪失感というのだろうか

 昨日は新潟高校から帰ってきた後、妻と子どもたちを迎えに新潟駅へ行った。彼らはこの3日間、東京の妻の姉とその子どもたちと一緒に時間を過ごしてきた。3日ぶりの彼らを迎えに行ったのである。2歳の三男のやんちゃぶりはますますパワーアップしたようだし、今度高校生になる長男はますます頼もしくなった。時々、弟妹に対する言動に乱暴さはあるけれどね。次男と長女は相変わらずだ。妻はかなり疲れた様子だった。皆、それぞれに楽しんでくれたようで、家にはまた騒がしさが戻ってきた。
 一夜明けて、今日は学校から持ち込んだ荷物を整理するつもりだったのだが、相変わらずドタバタと過ごしたり、整形外科へ行って首を伸ばしてきたり、次男の宿題を少し見てやったりしているうちに、あっという間に午前が過ぎてしまった。
 午後は集会に行く。その後、買い物に出かける。結婚以来使ってきた電子レンジと、数年前に買い換えた掃除機とがそろそろガタが来ていて、もはやどうにもならない状態になっている。そこで、それらを買い換えに、あのイオン南店に三度出かける。うーん、ここに来ていなければiPhoneSoftBankからauへと乗り換えることなどなかったのになぁ。まだそのことを後悔している。そのノジマ電気にやってきて、上記の2つの製品を購入した。auに乗り換えた特典として、ここでのポイントがついたので、それを大いに使う。そのためにauに乗り換えたようなものだ。まったく、SoftBankのままで何の支障もなかったのになぁ。妻は今回の買い換えについて、良い製品を買うことができたと満足げだった。それをせめてもの慰めにしようか。
 そのほかの用事をいくつか済ませる。しかし、困るのは我が三男である。自分が行きたいと思った方向へ脇目も振らずにまっしぐらに進んでいく。親が付いてくるかとか、目の届く範囲にいるかなどということは彼には無関係である。自分の興味の赴くところへとにかくよく動く。50代のパパとしては、もう体力の限界に挑戦させられるようなものだ。そして、気に入ったものがあると、飽きずにじっと見ていたり、同じ動作を繰り返したり、ぐるりと他を回ってからまたその場所に立ち戻ったりする。この行動パターンは上の3人には見られなかったものだ。あいつはちょっと変わっている。そして、そこから強制的に連れ出そうとすると泣き叫び、もがき続ける。うーん、彼に付き合っていると本当に疲れる。ぐったりして帰宅し、居眠りのつもりが本格的に寝てしまった。これじゃあ疲れが取れないよ。
 そんな1日を過ごしていたが、実はその間中ずっと、胸の中に重い質量を持った一つの塊がある。何かの存在を感じる。あるいはそれは何かの不在を感じているのかもしれない。今朝、整形外科に行く途中で新潟高校の校舎の姿を見て、それが何かを悟った。これが喪失感というものなのだ。あの学校の中に、もはや私の席はない。私の机もない。私物もない。新潟高校の教員としての所属は明日までだけれど、そこに私の居場所はない。これが胸の重さの正体だ。
 ただ、それに負けないほどの大きさの「思い出」がある。私という存在が続く限り消え去ることのない思い出が、記憶が、経験が、私にはある。その記憶が、いつかきっと私を支えてくれるだろう。
 それまで、今は喪失感の存在を感じ続けている。