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異動します

 私はこの3月で、9年間勤めた新潟県立新潟高等学校から異動します。異動先は新潟県新発田高等学校です。
 私にとって、新潟高校は母校です。高校生として3年間通い、そして教員となってから母校の教壇に立つことができて、9年間という長い時を過ごすことができました。しかし、今の感慨としては、あっという間だった、という言葉に尽きます。居られるのならばまだまだ居たい、というのが偽らざる気持ちです。でも、新潟県の異動ルールに同一校は8年まで、というものがあります。それを特別事情ということで、1年間多く勤めることができたのですから、これでも十分に長い方なのでしょう。12年間、私を迎え、包み、そして多くの出会いと成長を与えてくれた新潟高校に心からの感謝を捧げます。
 心に浮かぶことは、9年間で出会った生徒たちの顔です。特に私は1年生から3年生までの持ち上がりを3回経験することができました。3つの学年の生徒たちとじっくり付き合ってくることができました。特に心に残るのは、やはり3年生の担任として卒業生を送り出すことができた、6年前の卒業生たちと3年前の卒業生たちです。彼らが1年生の時からともに学び、ともに戦って、濃密な時間を共有することができました。そして、16歳から18歳へと成長していく彼らのその成長する姿の伴走者となることができました。彼らとともに青陵祭を作り上げ、彼らとともに受験勉強を戦い、彼らと同じように明け方近くまで講習の準備をしました。そして、卒業式では彼ら以上に涙を流し、彼らとの別れを悲しみ惜しみました。こんな経験はもはや二度とできないでしょう。
 今年度の3年生とは、1年生の時に理数科の担任をし、2、3年生と副任として過ごしました。残念ながら、副任という立場ではやはりじっくりと生徒と関わることはできないものです。先の2つの卒業生たちとは少々温度差のある関係しか築けませんでした。それでも、最後の卒業生と3年間をともに過ごせたことはやはり喜びです。
 たくさんの同僚と出会い、たくさんの同僚たちを送り出してきました。そして今日、離任式がありました。今まで8回送り出していた私が、今日は自らが送り出される立場となりました。全校の生徒たちに別れの話をしました。生徒たちからは我々一人一人の名前を連呼するエールを受け、応援歌「丈夫」の歌われる中でアリーナの中央を進みました。生徒たちの真ん中を、そして同僚たちの祝福を受けていきました。いつかはこの立場になるとずっと思ってきましたが、いざ自分の番になると、感無量です。
 現在の3年生たちの何人かが職員室の私を訪ねてくれました。1年10組として担任した生徒たちでした。また、3年前の卒業生の何人かも来てくれました。私にとって、卒業生たちが自分を訪ねに来てくれることが、どんなことよりも嬉しいことでした。彼らの成長した姿、変わらない顔を見て、懐かしさとまた一抹の寂しさを味わいました。それの一つ一つがどんなに嬉しかったことか。それをもはや味わうことができないと思うと、残念でなりません。
 高校生として3年間、尊敬すべき師と親しみ深い友に出会うことができました。そして、教員として9年間、可愛らしく頼もしい生徒たちに出会うことができました。どれだけ多くの出会いを、そしてどれだけ多くのものを、私はこの12年の間に受け続けてきたことでしょう。新潟高校が私にそれを与えてくれました。心からの、心からの思いを込めて、我が愛する新潟高校に「ありがとう」の言葉を捧げます。
 みんな、ありがとう。