2012年度が終わりゆく

 3月も早18日である。あと2週間で3月が、そして2012年度が終わる。3月に入り、特編Cが終わったときは、この4週間をどうやって過ごそうかと茫洋とした気持ちになった。もちろん、なすべきことはあり、それは遅々として進まないのだけれど、時間に余裕があることをいいことに日々を無為に過ごしているうちに、あっというまにあと2週間で2012年度が終わる。長いようで、本当に時間は短いものである。人が死ぬときも、そして意識があるのならば、同じようなことを思うものなのか。長い時間、この地上を歩んできて、それでもやはり短かったと嘆くのだろうか。50歳を超えるなんて、かつては想像だにしなかったのだが、近頃はそんな自分の老年のことを想像したりする。
 毎年、この時期になるとこの1年間が過ぎゆくのを悲しんでいる。それが充実したときであれ、あるいは悔いの残るものであれ、一つの年度が終わってゆくのを見送るのは寂しいものである。もちろん新しい年度の準備も次第に本格化してくるが、今年は特に過ぎてゆく時間に対する哀惜の念が強い。
 思うに、私は現在の勤務校に9年間勤めた。母校であるので、学生時代の3年間を加えれば、12年間もお世話になったことになる。一つの組織に加わっていた時間としては文句なく最長だ。勤めていた9年間を思い返せば、いつでも生徒たちの顔が浮かぶ。特に私は最初に1年生の副任として入り、その学年を持ち上がった後、次の1年生を担当した。これも持ち上がって卒業させた後、現在所属している学年の1年生に入った。つまり、9年間という時間を、ちょうど「1→2→3→1→2→3→1→2→3」と3回連続して学年を持ち上がっていったわけだ。そもそも同一勤務校8年というルールがある中、特殊事情で9年目残ることができたからこそ、3回持ち上がると言うことが完成したわけである。私の勤務校において、こんな学年の所属の仕方は希有と言っていい。そもそも他の高校でも珍しい持ち方だろうが、私の勤務校の場合はなおさらである。何しろ担任を持たせられずに、そのまま転勤していく方もおられるのだ。そもそも勤務校で担任を持つこと自体がある意味特別なことで、しかも所属する学年などその時その時の状況でどうとでも組み入れられる。そんな中で、私の学年の所属の仕方、そして担任の持ち方はまさしく希有である。そんな経験をさせてくれたのも、わが母校である。この高校には、どれだけ感謝しても感謝しきれるものではない。
 『六番目の小夜子』を読んで、学校の伝統という生命あるものの存在を実に間近に感じることができたのだが、その生命体に対する実感は私の場合は如実である。我が勤務校は、まさしく一つの生命体のように、私を迎え、生きさせてくれた。全く、最大級の深い感謝をもって遇する以外にない。
 そんな中、この本を読み終えた。

 アリシゼーションというシリーズの2作目である。この手のファンタジー的な小説に何ら抵抗感なく入り込める私にとっても、このシリーズに入り込むには時間がかかった。だが、前作の『アリシゼーション・ビギニング』の途中からようやく世界に入り込むことができ、この本は問題なく入り込めた。読み終えるのは早かった。この、小説世界に入り込むことの有無というのは何によるのかな。何がそろうと人は作品世界に入り込めるのだろうか。ちょっと興味深い問題である。
 ともあれ、なかなか楽しめた。続いて現在刊行されている中では最後の作へ読み進めよう。