新潟大学教育学部国語国文学会

 今日は上記の研究大会が開催される日である。私は指導教員の先生から、この学会で発表しないかと誘われ、それに応じた。何しろ3年間、私を教え導いてくれた恩のある関係である。また、博論の中に組み入れたが、まだ未発表の実践もある。そこで、昨年のうちに二つ返事で引き受けた。ところが、この開催時期というのがいかにも絶妙である。今、自分の中で抱え込んでいる作業が非常に立て込んでいる中でこの学会発表が組み込まれてしまった。いやはや、その準備に忙殺された。
 学会は午後から開催される。何しろ、学会発表資料を昨日ようやく作り上げ、印刷し、それを自宅に持ち帰って家族の協力を得て綴じ込んだ。そして、それを基に発表プレゼン資料を作り始めた。いやはや、プレゼン資料を前日に作るなど初めてである。だが、とうてい作り終えることができず、今日の午前中はひたすらこの資料作りに費やした。何とかできあがったのが、出発予定の1時間前である。本当に、心臓に悪い。
 学会は13:30から、新潟大学教育学部の大教室で行われた。教室を埋め尽くすほどの人が入り、なかなかの盛況である。私の前に教育学部を卒業して他大学の院に行っている院生が国文学の分野で研究発表した。明治期の政治小説を扱った研究で、なかなかに専門的である。ただ、むろん興味関心がそこにあるからなのだろうが、そうした政治小説家が自らの小説を書いた意図を明らかにすることは、国文学という学問分野には貢献するだろうが、一般的な教員にどれほどの貢献をするのだろうか。もちろん、いいんですよ、そういうことが研究として存在するのは。ただ、文学研究にどうも信用性を感じ得ない私のひがみ根性からすると、ちょっと疑問が残る。
 そんなことをいうと、私自身の研究はどうかとすぐに刃が返ってくるが、続いて私自身の研究発表を行った。昨年の春に行った『舞姫』の実践である。およそ25分以上かかって発表を終えた。プレゼン資料を作ったときにリハーサルをしたのだが、その時はしどろもどろだった私の舌も、さすがにこのときは結構流暢に動いてくれて、何とか自分の伝えたいことは発表することができた。続く質疑応答も、知り合いが何人かいるものだから、それらの方々から鋭い質問を受けた。さらに、指導主事の方や、大学の先生からも質問を受けた。終わってから、現社研の先輩の先生からも指摘を受けた。私の研究の不備や間違っているところを指摘してくれて、しかしそれは研究を進める上の方向性を示すとても良いアドバイスでもある。相変わらず、学会で発表することを良さを改めて実感した。うーん、癖になりそうである。
 その後、教育学部の先生による講演があった。現代日本語学の分野の講演だったのだが、その先生のキャラクターのせいと、扱う分野のユニークさ、オリジナリティが光る、素晴らしい講演だった。こんなことも学問として成り立つのか、それを実証的に検証する方法の厳密さが大事なのだ、そして、それらを実現することによって大学の教員という立場に立てるのだ、という、なんだか様々なことを実感させられた講演だった。
 やはり学会っていいものである。これからも、できるだけ続けていきたい。