漢文を読み解く

 今日の演習の授業では、東大の入試問題の第3問にあたる、漢文の問題を取り上げた。まあ、これはK社の東大模試の問題である。模試とはいえ、東大の入試問題の傾向をよく分析し、予想して作っているのだろう。理解してしまえばそれほど難解な文章ではなく、書き表さなければならないポイントもよく分かる。しかし、そもそも文章の内容自体を理解するのに、かなりしっかりとした類推力と語彙力とを持ち、設問に対して解答すべきポイントを引き出す訓練が必要である。さらに、それらのポイントを30〜40字程度の文に凝縮して述べる能力も相変わらず問われている。やはり、難易度の高い問題だと言って良い。正直、この問題を解くのは私の能力に余る。幸い、教員の仕事とは問題を解くことではなく、問題の解き方を示すことだ、と思っているので、このような私でも涼しい顔して教壇に立つことができるのだが。
 内田樹が再三述べるように、「これを教えたい」という人間がいて、「その人から教えを受けたい」という人間がいて、その2人がいれば「学び」という奇跡が作動する。人が他人から「学ぶ」ということは、本当に難しいことだろう。その他人が本当に正しいことを言っているのか分かったものではない。だが、その他人から学ぼうという態度をとるならば、その人の中に「学び」は起動する。たとえ、教師が間違ったことを言ったとしても、「学ぼう」とする態度でいる限り、そこに「学び」は成立するのだ。
 だが、教壇に立つ者としては、せめて間違ったことだけは言わないようにしたい。これは教える者の倫理である。そして、願わくば、学ぶ者たちに少しでも益となることを教えたい。つまり、マイナスになることだけはしたくない。できれば、プラスになることをしたい、ということだ。
 そんな気持ちと願いで、この数日、東大入試問題演習の授業を行っている。何しろ、相手が巨大だからね。こちらも謙虚にならざるを得ない。
 さて、昨日から私の通う集会で特別学び会が行われている。スコットランドから専心伝道者が来日しておられ、昨日から4日間は新潟で学びと伝道をしてくださる。昨日からの学び会では、テサロニケ人への手紙第一の2章を一節ずつ学んでいる。昨日は5節くらいまでしか進まなかったが、今日は6節から13節くらいまで来た。通訳してくださる兄弟の通訳を介して約1時間強。少しずつ少しずつ、しかし様々な話題がそのわずかな箇所から繰り広げられる。大変教えられるところである。一つ一つの教えを今一度吟味し、自らの信仰の歩みを照らす鏡として、振り返り、生かしていきたい。
 そんな中、Apple Storeに注文した品物がもう到着した。

アップル Apple Apple Mini DisplayPort-VGAアダプタ MB572Z/A

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 MacBook Airをプロジェクタにつないでプレゼンを行うための必需品である。来週の土曜日に新潟大学教育学部国語国文学会があり、そこで発表をすることになっている。そのための品物である。さて、こいつでMacBook Airに活躍してもらうか。その前に、発表資料とプレゼン資料を作らねばならないが……。