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図書館協議会の研究大会の準備を始めた

 今日は午前中は学校に行き、小論文模試の試験監督をした。本校では小論文模試を3回計画している。9月から11月にかけて、それぞれ1回ずつである。その、今日は最終回である。受講者は10名。まあそんなものだろうね。ただ、私としては小論文を書くことをもっともっともっと国語科の学習として取り入れるべきだと考えている。授業時間の半分くらいは小論文をやっていてもいいのではないか。だって、「書くこと」なんだから。「書くこと」と「読むこと」は言語能力の両輪である。その片方ばかりに力を入れるのはおかしいでしょう。
 その試験監督の間、再来週に迫ってきた図書館協議会の第2回研究大会の準備を始める。まずは出席者名簿の作成から始める。それだけで午前中の時間は使いきってしまったけれど。今年は我々事務局員を入れても78名しか参加しない。昨年は100名近かったのに。これは、19日という時期にもよるのだろう。3学期制ならば期末考査が近いからね。あるいは高校入試の準備など。泣き言を言うが、仕方がなかったのだ。ピンポイントでこの19日しか会場が取れなかったのだ。開催時期についてはもっと可能性を探るべきだなぁ。それとも、そろそろ高校側に本音が現れてきたのだろうか。そんなのやってられないよ、だいたい何をやればいいのか分からないぜ、という本音が。やっていられなくても、何をやるのか分からなくても、学校図書館の活用は考えていかなければならないことである。理念が先走っているが、理念を唱えていかなければならないことである。そこは頑として譲れない。
 参加者の研究協議におけるグループ分けに一苦労する。今回の協議テーマは「教科と学校図書館との連携を図ろう」である。本当は参加者の教諭の担当教科を聞くべきだったのだが、それをすっかり忘れてしまっていた。もっとも、多分ものすごく教科に偏りが出るだろう。それを調整するよりは、教科を無視したほうがよいと思った。さらに、教諭等と司書等をどうグループ分けし、配置するか頭を悩ませた。そこで、教諭は地区ごとに近い学校で組ませることとし、司書は地区に関係なしにグループ分けし、その2つをグループごとに合体させることにしてみた。果たしてうまくいくものだろうか。もう少しスタッフと相談してみよう。
 その後は定期集会へ行く。土曜日は聖書学び会である。今はマタイの福音書を学んでいる。今日は13章、種まきのたとえ話などがあるところだ。イエス様は8つのたとえ話を語られた。それらは前半4つと後半4つに分けることができる。前半は悪魔がすることが含まれており、後半は神様がなさることが記されている。これらを見ると、悪魔とは「入れる者」である。神様の創られた幸いなものに何かを「入れ」て、それをダメにしてしまう者である。それに対して神様は「取り上げる方」である。神様はそのようにしてダメになった世からご自分を認める者を「取り上げる」お方なのだ。そんなことに気付いた。
 帰宅後、家事や子守りをしたけれど、ともあれ博士論文の執筆に取り掛かる。今はともかく第2章の理論部分を書き上げることに専念する。そして、ローゼンブラットの読者反応理論を再び読み直し、勉強し直している。ローゼンブラットの考え方はやはり今日においても革命的である。それをふまえた授業実践がさらに日本の高校教育でも行われるべきだ。私の実践と研究はその一つであろうとしたものである。不十分であることは認めるけれどね。
 しかし、引用をしながら、資料を広げながら、少しずつ書いていくせいか、なかなか思うようには進まない。3時間でようやく1節を書き終えたくらいだ。さらに、原文を確認したりするものだから、なおさらだ。いちいち原文の箇所について指摘するのはやめようかなぁ。とりあえず今は。本当はもちろん必要なのだろうけれどね。
 さて、第2章をいつ書き終えることができるかな。