青山祭(文化祭)1日目

 右腕のけがは何とか順調に回復しつつある。今日はずっと両手でキーボードを打つことができている。右手首が固定されているので、まだ早く打つことができないし、誤入力が多いのだけれど、それでも片手で打っていた時に比べれば雲泥の差だ。今日の夕方に整形外科に行ったのだが、医師が私の手首を押してもさほど痛まなかった。水曜日には触られるだけで飛び上がるほど痛かったのに。だが、未だに手首を回転させると鈍い痛みが走る。まだまだ無理はできない。気を遣いつつ、もう少し養生を重ねよう。
 さて、今日・明日と本校は文化祭である。私は3学年に所属しており、文化祭をこの時期に行うため、3年生は文化祭にはお客さんとして参加するだけである。したがって、今日・明日と私に文化祭での大きな責任は与えられていない。これ幸いと、この2日間は遅れに遅れている博士論文の執筆に充てようとしている。だが、午前中は他の雑務をこなすのに少々時間がかかり、その後も副任をしている理数科の生徒たちで、医学部を推薦で受験しようとしている生徒たちの志望理由書を添削してやる作業が目白押しであった。今日は4人、昨日も4人くらい添削したかな。私の目には、まず「こんな医師になりたい」という志望理由書の核があるべきだと思うのだが、それが書けていない生徒が多かった。また、具体例に乏しいため、通り一遍のことはそつなく書いているのだが、説得力がない。それらを指摘し、時に生徒と対話をしながら生徒の中にある思いを引き出したりしながら、添削を進めている。よって、1人あたり30分くらいはかかってしまう。
 しかし、これは我々の国語教育の問題点でもあると思う。高校の国語教育ではどうしても「読むこと」の指導に目がいきがちで、「書くこと」や「話すこと・聞くこと」という「表現」の領域の指導がおざなりになってしまう。日本の高校国語教育の非常に悪い点だと思う。博士論文を書き終えたあとの私の研究対象はここだと密かに思っている。まあ、同僚たちが話しているのを聞き、現代文の指導はしてもあまり学力の上昇は望めず、だから対費用効果が分かりやすい古典の指導に力を入れると良い、という認識にも問題があるとは思うけれど。私の「読むこと」に対する研究はそうした認識への挑戦でもある。
 だが、その肝心要の博士論文の執筆が滞っている。手首を痛めて物理的スピードが衰えていることに加え、執筆時間をなかなかまとまって確保することができず、さらに、書き進めてはいるのだが、いざ書き始めると思うようにすいすいとは書けない。一緒に大学院に通っている友人が、理論部分を書くのは思ったよりもてこずる、と私に教えてくれていた。きっとその通りだろうと覚悟していたが、どうやらそれが私にもやってきたようだ。
 耐えて、耐えて、耐えて、とにかく一歩でも前進するしかない。その上で、どんなにへちゃむくれな内容でもいいから、とにかく形式だけは整えて、提出したい。まだ草稿の段階である。これからいくらでも直すことができる。だが、草稿を書き終えなければ、修正することもできない。今一度、「頑張れー! 俺!」。
 最近のお気に入りのCDはこれである。

J・S・バッハ:リュート曲集 (J.S. Bach: Lute Music) (2CD) [Import]

J・S・バッハ:リュート曲集 (J.S. Bach: Lute Music) (2CD) [Import]

 テオルボ型のバロックリュートを使っているせいか、低音に深みがある。演奏はもちろん文句なし! これを聞きながら、さあ、博士論文を書くぞ!