早朝執筆

 今日は何とか5:00起床。聖書を読み、その後すぐ博論の執筆に取りかかる。今は第6章の、授業実践を踏まえた考察を書いている。まず考察・結論を書き、その流れに合わせて第1章の問題の所在、第2章の解決の方法の部分を書こう、としているわけだ。論文を書く場合、先に結論から書き、それにあわせて最初の部分を書くということをよくする。今回は特に執筆時間に余裕がないので、このような方法を採ることにした。
 今日は第6章で自分の授業実践を評価するための評価観点を定めることにした。これは先日書き終えた論文で展開した内容である。実はこの論文は博論の第2章の一部に相当する内容のものだ。したがって、この論文の流れに沿って話を流していこうと考えたのだ。さて、このアイデアはうまく行くだろうか。もうこちらとしては、文脈が滞りなく流れていくことを祈るしかない。
 今日は授業変更の依頼を引き受けたせいで、午前3コマの時間割となった。古典が1つ、現代文が2つ。現代文では一昨日理数科で行ったように、「日本の庭」における修学院離宮竜安寺石庭との比較をまとめ、そこからその対照的な二つの特徴を併せ持つものとしてが桂離宮であることを理解させていく。修学院離宮竜安寺石庭との特徴をすべてまとめ、「だれがそのような宇宙を造ったのか」という筆者の問題提起において、「そのような宇宙」が何を指すのかを問うたところ、修学院でも竜安寺でもない第3のものと答えた者は、理数科ではたった1人だったものが、文系では10数人いた。やはりこれは評論文を読み慣れている差かねぇ。その違いは歴然であった。能力的には理数科の方が極めて高いのだが、普段その能力を使っているかどうかでこの差が現れたのかもしれない。逆に言うと、情けないぞ、理数科! ということになる。
 午前中で授業を終え、生徒の文章を添削したものの指導をし、午後は年休を取って帰宅する。今日は長男の中学校の音楽発表会だということで、妻がその会に出席する。その間、私は子守である。でも、今日は秋晴れの穏やかな一日で、子どもを庭先で遊ばせていたら、勝手に遊んでくれるので助かる。その間、ずっと見ていなければならないので、自分の仕事は何もできなかったけれど。1歳10ヶ月の三男はできることがどんどん増えていく。土いじりをしたり、補助ハンドル付きの三輪車に乗せればきゃっきゃと喜ぶし、多少の段差も尻をついたりしながら昇っていく。大したものだと思う。そういえば、食事も最近は自分でフォークを使って食べられるようになった。妻に言わせると、できるのは少し遅いけれど、しかし飲み込みが早いということだ。確かにフォークを上手に操って食事をしている。子どもを見ているといろいろなことが新鮮で、とても楽しい。こうして子どもとずっと一緒にいる時間を持つことは貴重な体験なので、大事にしたいものである。
 そんな中、この本を読み終えた。

街場の大学論  ウチダ式教育再生 (角川文庫)

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

 内田樹の読書シリーズは密かにまだ続いている。この本はずいぶん前に購入しておいたものだが、改めて読み始めて、読了した。文科省幹部との対談やかつての日比谷高校の様子など、引き込まれるものがいくつかあった。頭を刺激しつつ、執筆に疲れた頭をいやすのには最適な読書である。
 次は『街場の読書論』に行こうか。そのうち、『街場のアメリカ論』『街場の中国論』なども読みたいものだ。