なかなか歩みは進まないが

 今日は少々寝坊してしまった。5:55起床。こうなると、朝の時間はほとんど使い物にならなくなる。聖書を読んだり、他のいくつかのことをしていると、あっという間に7:00を過ぎてしまう。博論の第6章を書こうと思っていたのだが、構成の見直しをしているだけで終わってしまった。だが、昨日ざっくり作った構成の不備を発見し、それを修正できたのはよいことだった。さらに、今日は職場からの帰路の途中でこの第6章についての良いアイディアを思いついた。さらに風呂に入っていた時には具体的な文章までが頭に浮かんできた。こうなってくると話は早くなる。あとは手を動かして実際に執筆していけばよい。もちろんそんなに簡単にはいかないが、それでも五里霧中の中を進むのではなく、探照灯を持って目標をイメージして進んでいくのだから、だいぶ感じが違う。もう今週あたりからは、さすがにどんな時でも博論のことを考え、何をしていても博論についてのアイディアを得ようと頭の片隅に常に考えているような状態だ。これは非常によいね。頭がアンテナとなって情報をキャッチしようと常に動いている感じである。なかなか歩みは進まないけれど、方向性はよい。
 そんな中、授業を2コマこなす。古典講読は韓信の話を読み進めた。直訳でも十分に話の内容が分かるところなので、もっと早く進むかと思っていたが、意外に時間がかかってしまった。想定の半分程度しか進まなかった。もう一つの古典は若菜巻を読み進めた。女三の宮が柏木の前にその姿を現してしまい、夕霧が咳払いをして彼女に姿が見られていることを知らせ、彼女が奥に入ってしまう場面を読んだ。そのあたりの夕霧や柏木の心情描写が非常に的確で面白い。本当に若菜巻は面白い。近代小説を読んでいるような感覚だ。
 今日はそのほかに、推薦入試を受けようとしている生徒の志願理由書を添削したり、生徒からの添削以来の解答を添削したり、120周年記念誌の原稿を書いたりしていた。放課後はまたしても会議&会議。今日も忙しかった。余裕のある時間がほとんど取れなかった。授業は2コマしかなかったわけだが、それ以外の時間もやるべきことが目白押しで、本当に毎日毎日成すべき仕事を一つずつ取り崩していくような感じである。成すべき仕事は次から次へとたまっていき、それらの仕事を優先順位順に一つ一つこなしていくという毎日である。まったく、todoリストがどんどん長くなっていく。しかし、動いていればそのリストは一つずつ消えていく。この、todoを消していく瞬間が嬉しい。そんなこんなしながら、毎日を過ごしている。