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監督と指導とプールと

 今日は祝日であるが、年間計画で本日に3年生の小論文模試を入れざるを得ず、その模試監督のために出勤した。G研の模擬試験である。受験した生徒は15名。3年前や6年前に担当した時とは違って、本当に少なくなった。学校としての指導の流れが今までとは少し違ってきて、小論文入試に頼らない傾向が一段と強まったようだ。まあ、基本的にそれは賛成なのだけれど、小論文に対応できる指導体制を本格化すると、生徒が変わると思うんだけれどなぁ。そして、それが数多くの高校の課題を多少は解決する糸口になりそうな気がするんだけれどね。幸か不幸か、勤務校は小論文指導をほとんど無視しても成り立ってしまう学校の一つである。
 100分間の長丁場の試験を終え、その後、訪れた生徒の小論文指導をする。これが添削するのに骨が折れる。言いたいことは分かるのだが、論文の構成の段階で手を入れたいことが数多くあり、字句の推敲などのレベルではないのだ。もっとも、小論文はしっかりした構成さえできれば、ほとんど書けたも同じである。後は自分のアイデアを盛り込み、字数に注意して書いていけばよい。これは学術論文でも同じだ。しっかりした構成さえできれば、後は書けばよい。
 実は今日は、その論文を書こうと思って用意していたのだ。そして何とか、その論文の構成を書き直した。あるレポートを基にして論文を書けばよいことは分かっていた。しかし、そのレポートはやはりメモ程度のものであり、それをどのようにして論文の形に持っていけばよいか、なかなか見えてこなかった。だが、先日、そのレポートを書いた時に参照した論文をもう一度読み直して、自分の論点を整理したことにより、自分の論文をこんなふうに書けばよいのだというイメージというか、完成した論文の姿がぼんやりと頭に描くことができた。なるほど、これかと思った。そして今日は、その完成論文の姿を現出させるべく、論文の構成を頭からやり直した。そして、全体で7章(そのうち2章は節を持たない)、各章はそれぞれ3つの節からなる、全部で17の要素を持つ構成案を作り上げた。それぞれに2〜4のパラグラフを当てはめるとすると、単純計算で13,600字程度の論文ができそうだ。無論、実際はもっと字数がかかるだろう。でも、全部で70程度のパラグラフを書けばよいのだ。こいつを、今週中に書き上げなければならない。それ以上は時間をかけられない。今月末には、北海道の滝川市に行って、聖書の福音を語る働きが控えている。その準備も十分にしたいからね。
 と考えていたのに、家内が子どもたちとプールに行く予定を立て、しかも友人の家族の子どもたちも引き受けることになった。子どもたちは小学生もいるが、幼児もいる、ということで、監督者が2人必要だということだ。そこで、私にも一緒にプールに行くというミッションが下った。それだけなら断ることもできるのだが、そのお宅で夕食をごちそうになると言う。そこまでお世話になるのに、我が家としても協力しなければならないということで、やむを得ずプール行きを選択した。しかしなぁ、私がプールに行くと疲れ果てて、その後で何もできなくなるんだよなぁ。
 久しぶりのプールは良かったが、ウォーター・スライダーで水の中に入った時に耳を痛めたり、案の定、疲れ果てて、その後は何もできず、夕食をごちそうになった後は、体を休めるだけのつもりがそのまま寝てしまった。やれやれ。息抜きもここまで徹底すると、それは「逃避」である。
 ある方は、ご自分の論文執筆の進捗状況をFacebookに書き、それを励みに第一稿を本日書き上げたそうだ。良い方法だなぁ。私もコメントをして、共感やら励ましやらを書き込んだからね。誰かに見られている、という感覚は何より自分の行動を規定させる。私が受験勉強を図書館でやり続けたのと同じだ。私もやってみようかな。