空間的イメージ把握と言語的論述との結合を

 今日の授業は3つ。古典が1コマ、現代文が2コマ。理数科と文系だ。古典は「無名抄」のまとめをプリントで行い、さらに漢文の「師説」を音読し、練習させ、さらに内容読解に入っていった。このクラスは定期考査までの残り授業数が少ないので、音読練習はやむなく簡略化した。いつもなら1時間まるまる音読練習しても不思議はないのにね。
 理数科の現代文は全11段落ある「画家の領分」の第6・7段落を扱う。こちらは生徒に考えさせたり、こちらで説明したりしながら、どんどんまとめていく。
 文系の現代文は第8段落から始まり、一気に終わりまで行くつもりだった。だが、残念ながら最後の11段落が残ってしまった。フェルメールデュシャンの画像を示したので、時間を取ってしまったかな。
 電子黒板を用いるようになって以来、現代文では本文を大きく映し出し、そこにペンツールを使って書き込む、という方法で授業を行っている。その際は、論理の展開を追っていくのにキーワードを丸で囲んだり、重要箇所に傍線を引いて、それら関連するところを線でつないだりしている。評論の読解には、まずこの空間的イメージ把握の能力が不可欠だと思っている。そこで、それを実際に生徒の目の前で示すことのできる電子黒板は非常に効果的だと考えている。
 しかし、このやり方は、そうやって把握した論理展開を言語化する際にややあやふやになりがちである。何しろつかんでいるのはイメージだ。そのイメージをしっかりと言語化し、なおかつ主語・述語を備えた一貫した表現としてまとめる能力も必要だ。評論問題における論述式解答にはそうした少なくとも3つの能力が高度に求められる。
 今日の授業では、その言語的表現への転換がかなり甘かったな。イメージはしっかりと捕まえているのだけれど、そしてそれを電子黒板を使って生徒に示してはいるのだけれど、それらのイメージをまとめ上げて言語化する「お手本」を生徒に示し得たとは言えないね。まだまだ教材研究が甘い、ということだ。いや、教材研究はしているのだけれど、先を早く進もうとするあまり、準備してきたノートを見ないで解説してしまったので。
 生徒がここのところを十分に理解してくれたかどうか、やや心配だ。

iPhone5登場!

 私がこのblogを書いているのは13日早朝である。はい、iPhone5が発表されたことを既に知っている。いやぁ、やってくれましたね、Apple
 AppleのWebページに早速載せられたiPhone5の紹介ビデオを見たが、本当に夢をかき立てられるものとなっている。その画面の美しさ、その速度の速さ、その内部構造の精密さ、それらを成り立たせたAppleの精神、それらが良く紹介されている。プロダクツの精密さへのこだわりが、あれだけの高機能をコンパクトに、フレンドリーに実現することができる。Appleならではの素晴らしい製品だ。