早くもセンター試験出願指導

 今日のLHRでセンター試験の出願指導が行われた。いやぁ、もうそんな時期か。早いものだ。センター試験の出願指導が行われると、受験準備もいよいよ大詰めだな、という気持ちになる。
 生徒を視聴覚ホールに集め、その場で出願書類を配り、ビニール袋を開けさせ、出願に不要な書類等を回収したりする。3年前や6年前は各教室で一斉にこの指導をしていたような気がするが、今回は視聴覚ホールに集めて、全員一斉に作業をする。そして、出願の注意を受ける。うーむ、効率的のように思えるが、生徒の顔を前にすると、どうしても教員は一言言いたくなるんだよね。おかげで時間がかなり押してしまい、各教室で出願書類の下書きを書く時間が少なくなってしまった。いや、熱意の表れだから良いと思うんだけど、私にも前科があるからなぁ。一斉に動く場合、時間は大切である。
 今日の授業は現代文が2コマ、古典が1コマ。昨日とはうって変わって3コマの授業であった。
 現代文は理数科が評論文の3〜4段落を一気に扱い、生徒に記述式解答を書かせたり、説明をしたりした。電子黒板で本文を写しだし、そこに書き込みをしながら論の流れを確認したり、ある部分の言い換えになっている箇所に傍線を引いたり、枠で囲んだりしている。こうすることで、今まではその論の流れの途中になる本文箇所の引用を板書したりしていたのだが、それが省略できる。その意味では効率的かもしれない。でも、使い方のメインは昨日も書いたとおり、読み取りの途中経過・読み取りの考えるプロセスを可視化して生徒に見せることにある。よって、板書のみの授業よりもかえって進度が遅くなるかもしれない。
 文系では4〜6段落を扱う。こちらは残り時数が少なくなってきたので、説明を中心に進める。もう少し先に行きたかったけれどね。
 古典は理数科の授業。「無名抄」がとりあえず終わった。この文章は俊成の2首の和歌と俊恵の1首の和歌の解釈、そして俊恵が俊成の「おもて歌」と評価した和歌を批判するところが肝心な箇所である。そこの説明をするのだが、できるだけ生徒自身が気づき、理解できるようにしたい。そのため、様々な発問をしたり、その答えを隣同士で確認させたりしている。あるいは二者択一や三者択一の問題形式にして、隣同士で確認させた後、挙手をさせたりしている。こうした動きのある活動で何とか理解を深めさせようとしている。
 「無名抄」は中世和歌の美意識である幽玄や有心などを扱っている教材だからね。なるべく生徒自身の想像力に訴えかけるような授業を展開したいものだ。それにしても俊恵自身が自分の「おもて歌」だと言っている歌は、想像力を働かせにくい歌だなぁ。無理して想像しなければ想像できないような歌だ。