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授業準備と論文と……

 今日は授業変更のマジックで、授業のない日だった。その分、明日は大変なことになるのだけれど……。せっかく与えられた何もない日なので、申し訳ないが、自分の研究を進めることにした。主に午前中を論文書きに当て、午後を授業準備にしようと目論んでいた。結果、午後2時くらいまで論文書きはかかり、それでもほとんど進展しなかった。授業準備は何とか進んだけれどね。
 今度の論文は実践論文ではなく、資料を調べての研究論文である。しかし、そうであるがゆえに、事前準備をしっかりしておかないと理論的な構築ができない。無論、ある程度は調べた上で書き始めたわけだが、まだまだ準備が足りないことが露呈した格好だ。
 となると、もう一つの大部の理論的な文章も同じことになりそうな予感がするなぁ。こちらも早く書き始めるべきなのだが、何しろ時間が取れないし、上記の研究論文も締切が近づいているし、この論文を書いておかないとこちらの文章が書けないしなぁ。痛し痒し、である。
 授業は現代文の残り時数がきわめて切羽詰まっていることがわかってきた。何しろ次の考査まで残り5時間やら6時間なのに、今扱っている評論文が全11段落中まだ第4段落までしかたどり着いていない。残りの教材研究を今日終えたのだが、生徒に考えて欲しい箇所は目白押しである。それなのに、それを終えてさらにもう1つ文章を読まなければならない。やれやれ。どう考えても今の評論文を2時間か3時間で終えなければならないではないか。どうしてこんなに時間がかかるんだろう。論述の問題をこしらえて、その解答の仕方を解説し、生徒に書かせ、それを添削するということをやっているからなぁ。そりゃ時間がかかるさ。その前には構造分析で2時間くらいかかったしね。また、電子黒板を使って授業を進めているから、というのもあるかもしれない。
 FaceBookの書き込みに、「パワーポイントによる授業は何故つまらないか」という記事の紹介があった。非常に参考になった。パワーポイントによる流れるような授業は、良くまとまっていて華麗ではあるが、学生による意見は「つまらなかった」であるそうだ。では、どういう授業が必要かというと、「生徒の追体験ができるような授業」だそうである。つまり、従来の黒板による授業は決してつまらないわけではない。それは、教師が書いたり、考えたり、時に立ち往生したりしながら進む。それを生徒はノートに写しながら、いわば「追体験」しているのである。そうすることによってこそ、記憶に残り、「面白い」と思わせる授業になるそうだ。
 これを読んで、本校における電子黒板を使った授業における注意点を考えられると思う。プレゼンソフトを使って板書内容を事前にまとめておき、それを映し出しながら進める授業は危険性があると常々思ってきた。その裏づけが取れた、と思っている。プレゼンソフトによって情報が示されても、それは生徒の意識を上滑りするだけである。少しも彼らの中に入っていかない。私は、プレゼンソフトを使ってプレゼンをする時は、聴衆がその内容を聞き流しても良い場合にしか使わない。あるいは、私の言わんとするテーマの確信のみが伝わればよい場合のみだ。一つ一つの内容をしっかりと伝えたい時は、むしろプレゼンソフトは使わない。プリントを使う。
 では、電子黒板を使って何をするか。私は教材の文書を大きく写しだし、そこに傍線を引いたり、キーワードを○で囲んだり、キーワード同士を線でつないだりすることに使う。つまり、文章を読み取る過程、考えをまとめていく過程を生徒に示すために使っている。特に国語の授業では、情報だけがぽいぽいと映し出されて、それが次々と切り替わっていくなんてナンセンスだ。国語の授業は「考えさせる」授業である。情報の提示などほとんどの場面では存在しない。むしろ必要なのは、考えがどう展開していくか、考え同士がどうつながっていくか、その変化を示すことにある。よって、スクリーンに映し出された画面が、その画面上で刻々と変化していく様子を映し出すことができなければならない。だから、直観だけれど、iPadが最適だと思うんだよね。(^^ゞ
 ということで、たくさんの時間があったわりには、今日もあまり仕事は進まなかった。
 そんな中、本校の図書館から借り出したのが、この本である。

おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)

おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)

 これはすごい本である。右ページに絵、左ページに手書きによる筆者の文が置かれ、その見開きでひとまとまりなのだが、それを数ページ見ていくだけで、もう涙が溢れそうになる。涙腺の弱い私にはとても最後まで読み通すことができない。そこで、最近泣きたいと思っているであろう家内に読ませたところ、彼女も涙を流しながら読んでいた。いやはや、「ヤバイ」本である。
 「おもかげ復元師」というのが筆者の仕事である。これは、亡くなった方の顔の筋肉などを手のひらで暖めて柔らかくして、生前のおもかげになるべく戻してあげる仕事である。そうした仕事をしている筆者が、先の大震災の被災地にボランティアで行き、津波でなくなった方々の遺体の顔を、生前のそれのように復元してあげるのだ。そうすると遺族たちが「あっ、お母さんだ」「あぁ、娘だ」と生前の家族にまるで再会したかのような反応を示すそうである。これらの文章を読んでいると、本当に切ない。人が家族を思う気持ち、親を思う気持ち、子どもを思う気持ち、それらがストレートにこちらに伝わってくる。もう、涙腺決壊、である。
 素晴らしい仕事をなさっている方がおられると共に、先の大震災のむごたらしさを改めて感じる。なお、この筆者の仕事については、8月にNHKで番組を作っていた。見たかったのだけれどね。