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初等教育は今どうなっているの?

 私には小学4年の次男がいるが、彼はまだ夏休みの宿題を終えていなかった。算数の宿題で、計算ドリルの指定された範囲を2回やり、余力のある者は配布されたプリントをやるように、という宿題だった。しかし、彼は計算ドリルさえ終えることができなかった。それで、この土日は残りの分を終えるべく奮闘させたし、私がつきっきりで教えたり、なだめたり、怒鳴りつけたりしながらやっていた。教えることにおいて怒鳴りつけるのは最悪の方法だとは充分わかっているのだけれど、あまりの停滞ぶりついつい怒ってしまう。今朝の8時過ぎまでかかって、何とか終えて出て行った。これで一安心である。
 彼の怠惰、計算力のなさなど要因はいくつもある。だが、その中で彼の担任の言ったという言葉が気になった。「今の子どもたちは大変だと思いますよ。やらなければならないことが多くなりましたから」だそうである。学習指導要領の改訂によって「ゆとり教育」から「詰め込み教育」へと転換し、教えるべきこと、やるべきことが増えて、授業もどんどん進んでいかなければならないそうだ。児童の理解などお構いなし、授業時数が足りず、こなすべきことは増え、どんどん「詰め込み」へと進んでいるような印象を受ける。
 しかし、それはおかしいのではないか。「ゆとり教育」に転換する前は「詰め込み教育」だったわけで、つまりは以前に戻っただけではないか。それなのに、そんなに時数が足りなかったり子どもたちが大変になるものだろうか。確かに、その当時は土曜日も授業が行われていたし、「総合的な学習の時間」はなかった。それでも、そんなに子どもたちがヒーヒー言うほど圧迫されているのだろうか。もっと他の要因があるような気がするな。たとえば、教員が忙しすぎるような状況に追い込まれているとか。何かもっと制度的な問題があると思う。
 さて、授業は古典講読と古典が1コマずつであった。どちらも電子黒板を用い、口語訳を進めている。だが、古典講読は予定していたところよりはるかに手前で終わってしまった。ちょっと前後関係の把握が難しい箇所ではあったけれどね。古典も思ったより進まない。「無名抄」の、和歌の解釈というこれまた難しいところにさしかかっているので、こちらは仕方ないが。しかし、理数科の生徒たちの反応のなさが少し気になる。2限帯の授業で、エネルギーはまだまだ十分なはずだが、こちらの呼びかけに対する反応がない。表情も何となく暗い。もしかして、そろそろ古典に見切りを付けたかな。受験にあまり必要ないというか、今は理科や数学の方に多くのエネルギーを注がなければならず、古典へのエネルギーを減衰させたかな。または、次の英語の単語テストで頭がいっぱいだったか。ともあれ、最近の古典への無気力さが気になる。