電子黒板を使った現代文の授業 その2

 今日は現代文が2コマ、理数科と普通科文系である。扱っている教材は李禹煥の「画家の領分」である。寡聞にして知らなかったのだが、この文章はH23年度のセンター試験追試験で出題されている。教科書の方が引用範囲は後ろの方に多いが、冒頭から3分の2まで全く同じ。しまった。生徒にはセンター試験の過去問問題集を全員に配ってある。したがって、彼らは解説も持っている。センターの選択肢や解説が我々教員の解説と著しく異なっていたら、またその説明がやっかいだなぁ。事実、センター試験の選択肢はちょっと首をひねるところがある。消去法で正解は選べるけれど、その選んだ「正解」が果たして正しい答えなのか、疑問に思う問題がある。困ったなぁ。まあ、こんな見方もある、的に生徒には参照させようか。
 さて、その2コマとも電子黒板を使った。表示させた本文ファイルは私が用意した。昨日の古文用の本文とは若干仕様が違っている。

  1. スタイルは、ゴシック体を用いるのは同じ。ただし、ポイントは20ポイントを基本とする。
  2. 表示される1画面に1段落を表示できるようにする。したがって、短めの段落は上記の通り20ポイントでよいが、長い段落はポイント数を下げ、しかも行数も増やして、何とか1画面に収めるようにする。それでも14ポイントは下らないようにする。
  3. したがって、行間も画面ごとに変更する。

 現代文の評論の場合は、特に段落全体が一望できるように表示されるのが必須である。扱っている文章は段落ごとに語る内容が明確なので、なおさらだ。と同時に、最近の評論にしては、各段落の長さが長めである。そこで上記のような工夫を施さなければならない。一般的な評論の場合、形式段落ごとに画面を切り替えるよりは、意味段落ごとの方がよいだろう。
 それを用いて、表示された本文の中で、話題にしたい部分に傍線を引き、生徒に説明を考えるよう求めた。お互いに考えを確認させた後、前に出て黒板に自分の考えを書く「生け贄」を募集した。理数科では1人、文系では2人が出て、考えを書いてくれた。素晴らしい。そうした積極的な態度が自分自身の国語力を付けるのだよ。私はそれを見ながら、その場で添削をし、また彼らの解答を用いて授業を展開していった。
 こうした際に、本文が大きく表示されていると便利である。本文のキーワードのどこが傍線部分の説明に使われていくかが、表示された本文に書き込みをして線でつないで示すことができる。やはり、本文を示した上での授業展開は非常にやりやすい。
 現代文でも大活躍しそうである。

韓国留学生のスピーチ

 今朝、「きずなプロジェクト」の一環として、韓国から男子高校生が本校にやってきたことが職員に紹介された。16歳で、大変礼儀正しい少年である。これから半年間、2年生の一員として過ごすことになる。
 彼が職員朝会でスピーチをしたのだが、そのスピーチがまた素晴らしいものだった。自らが日本に来ることになったいきさつ、それに対する自分自身の感慨、日本滞在中の抱負、そして自分自身の将来の夢、それを実現するための決意、こうした機会が与えられたことへの感謝、それらが、無論たどたどしいものではあるものの、予想以上に正確にはっきりとした日本語で話をした。いやぁ、素晴らしい。
 これは、彼自身の資質と努力の賜物ではあるものの、彼の国での教育の成果であると思う。韓国は台湾や香港などと同じく、PISAの順位が確か日本よりは高いはずだ。それだけ、詰め込み教育ではなく、自ら考えさせ、それを表現させる教育を展開しているのではないか。その成果が、彼のような16歳(!)を育てているのである。
 おいおい、日本はうかうかしていられないぞ。そう思って、日々生徒同士で話し合いをする授業を展開しているのだけれどね。

卒業生の来訪

 卒業生が一人来てくれた。私が最初に担任した学年の生徒である。本校で初めて2年生の担任として受け持った時に私のクラスにいて、3年生もそのまま持ち上がった生徒である。よって、私が本校(我が母校でもある)において、初めて卒業させたクラスの生徒だった子である。私はこのクラスに対して強い思い入れがある。何しろ、初めて卒業させたクラスだ。その彼女が久しぶりに来てくれた。彼女が卒業してはや6年目である。それまでに3回ほど顔を見せてくれたのだが、その後しばらく足が遠のいていた。でも、今日は久しぶりに来てくれたのだ。いやぁ、嬉しいことだなぁ。
 6年前に卒業した時とそれほど変わっていない姿に少し驚き、そして嬉しく思う。あまりに変わっていると、成長を期待する方としては嬉しがるべきなのだろうが、ちょっと辛いものがある。その点、彼女は外見こそはあまり変わらないが、内面において大きく成長し、素敵な女性になっていた。23歳だものね。本当に成長してくれた。
 卒業後は、当然だが様々な経験を重ね、そのことからも様々に学んだことだろう。在学時より一段と落ち着きを身にまとい、それでいて初々しさを失わない彼女は非常に素晴らしい成長を得たのだろう。こういう人に会うと、こちらまで心がほっとする。
 30分ほど話をしていった。私に次の授業がなければ、まだまだ話をしていたかったところだ。残念である。今年は6月あたりにも同じクラスの卒業生が一人来てくれた。私にとって強い印象を持っている人たちが、こうして挨拶と近況報告をして来てくれる。担任冥利に尽きることである。
 ありがとう。また会おうね。