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電子黒板を使った授業 その3

 今日も古典と古典講読1つずつの授業だった。どちらも電子黒板を使った。
 昨日の反省に基づき、教材本文のファイルを自分で作成した。Wordで作成したものをpdfファイルに変換し、それをプロジェクターに映し出す、という方法である。こういう場合、Macはpdfファイルを簡単に作成することができて、便利である。Windowsの場合はpdfファイル作成ソフトを使わないとダメだろうが、Macの場合はシステムがそれに対応している。どんなファイルを作成しても、印刷メニューの中に「pdfファイルで出力する」というボタンがある。それを押すとpdfファイルを作ってくれるのだ。本当に、Macは便利である。(^_^)
 そのWordで作成したファイルだが、以下の設定にした。

  1. フォントはゴシック体。ポイントは24ポイント。
  2. 1ページには1段落が表示できるようにする。それが不可能な場合は、区切りの良い適当な箇所で次のページに移る。だいたい1ページ16行くらい。
  3. 上記の範囲で、できるだけ行間を空ける。書き込みができるように。

こうしたファイルをAdobe Readerで表示させる。さらに表示オプションから全画面表示を選ぶ。これでようやく、教室の一番後ろの席の生徒でも何とか見ることのできる画面が完成する。やれやれ、である。ちなみに、昨日の授業で教科書そのもののpdfファイルを表示していたのを一番後ろの席の生徒に聞いたところ、案の定、私が何をやっているのか見えなかったそうだ。そりゃそうだろうね。全画面表示をさせていたが、それでも小さい。しかも文字のドットが荒くて汚い。これでは見る気が失せる。せっかく文章を大きく表示しているのだから、その文章がはっきり見えなくてはどうしようもない。
 今日は古典も古典講読も、このようにして教科書本文を表示させ、ペンツールで話題とする箇所に傍線を引きながら説明や口語訳をしていった。時には行間にペンツールで文字を書き込んだりもした。きれいな字を書くことはできないが、それでも認識できる程度には文字を書き込むことができる。記号などならもっと良いだろう。
 もしかしたら良いかなぁ、と思ったのは、本文を口語訳している時だ。上記のようにして本文を表示させていると、口語訳をしている文を単語単位に切り分けて逐語訳をする場合、その単語を指さしながら逐語訳をしていくことができるのだ。今まではそれを口で話して説明することだけでやっていた。しかし、それを、本文を示しながら行うことができる。これは良いかもしれない。
 ただ、私がそのようにして説明している時、一番前の列で右端・左端の生徒からは、説明している私の姿で画面が隠れて、指示している私の手の動きが分からないかも知れない、と思った。これは生徒の座席を少し後ろに下げておく必要があるかもしれないな、と思う。生徒在籍数が多くて、教室にぎちぎちに入っているクラスはそれは難しいが、在籍数に余裕のある教室は生徒の座席を今より1mほど下げると良いのではないかなぁ。今度提案してみよう。
 というわけで、教科書本文を提示して古典の授業を行う、というのは一つの型ができそうである。次は現代文における利用法の開発だ。さらにはそれ以外の使い方があるか考えてみたい。一番良いのは、iPadを使って、その画面を示すことだなぁ。iPadなら直感的に、画面に表示されているものをいじる、という感覚で表示ができると思う。そうすると、授業場面において今そこに生成されているものをどんどん提示して、考えをまとめていったり、議論をまとめたりすることが可能になるのではないか。
 うーん、iPadが欲しい! 10月にはどうやらiPad miniが出るらしい。どんなものかなぁ。でも、iPadは画面が大きい方がよいと思うけれどね。
 そんなことを考えていると、自宅のMacで、システムを入れて起動させている外付けハードディスクから異音が出始めるようになった。まずいなぁ、何もバックアップしていないぞ。これがクラッシュしたら、重要なデータのほとんど(写真データ関連が多いけれど)が失われてしまう。ハードディスクを新調する方が先かなぁ。