「北京故宮博物院展」鑑賞会

 今日は書道部の1、2年生10名を引率して、高文連美・工・書専門部主催の芸術鑑賞会に参加してきた。新潟駅南口に集合し、借り上げバスにすし詰め状態になって長岡へ。勤務校の他に新潟南、新潟江南、新潟青陵の4校の書道部員たちが参加した。
 向かったのは新潟県立近代美術館である。ここでは新潟日報社BSN新潟放送などの主催で「地上の天宮 北京・故宮博物院展」が行われている。会期は8月5日まで。なかなかギリギリの日程だったわけだ。この展覧会ではかつての紫禁城、今の故宮博物院よりの文物約200点が展示されていた。日本の国宝に当たる国家一級文物もあり、失礼ながら意外にも充実していた。1時間30分ほど、じっくりと鑑賞してきた。なかなか良かった。さらに1時間ほど近代美術館の所蔵品点も見てきた。
 故宮博物院展を見ながら、その素晴らしさに感嘆するとともに、そうした文物を生み出してきた清王朝の、言ってみれば「歪んだ」姿に思いを馳せずにいられなかった。展示された文物は実に細かいところまで彫刻や刺繍や彩色が施されたものであり、どれほどの工人たちを費やし、その時間や、労苦や、才能を使い尽くしていたものだろうかと、そこに蓄積された価値のさまざまの膨大な量に圧倒されるばかりであった。と同時に、そうした文物や日常生活を生み出した清王朝の特異性も浮き彫りになっていたように思う。清王朝の皇帝たちの生活や王妃、妃たちの生活、子どもたちの生活などが多くの絵画によって示されていた。それらの絵画で、人物たちはほとんど正面を向いた姿で描かれている。そうでないものも、皇帝夫婦が理想的な夫婦の姿であるべき、という理念を体現させられる姿で描かれている。人物画のほとんどは彼らの姿ではない。かくあるべきという理念上の彼らの姿である。西太后肖像画がそのことをよく物語っている。彼女は肖像画を描くためにモデルとなって長く画家の前に座っていることを拒んだ。そのため、寵愛していた侍女が代わりにモデルとなり、顔の部分だけは若い頃の写真を元に描かせたという。そのため、顔面神経痛を患っていたはずの彼女の顔はひどく美しく描かれている。
 文物を見ながら休憩した椅子に置いてあった市販品の解説本に、この時期の清王朝の様子を解説した文章があり、それを読んだ。非常に参考になった。ここに展示された文物の本当の姿が見えてきたように思う。何しろ西太后は自らの権力を守るために王たちを操り、また自分の野望を実現するために送り込んだ妃が反旗を翻すと、彼女を幽閉し、貧しい食事で衰弱させ、それでも毅然として自らの意志を曲げない彼女を空井戸に突き落とさせたそうだ。あるいは、ある王妃は、西太后らに利用されるのを阻止するために、自ら断食して身ごもった子どもとともに衰弱死を選んだそうな。そうした人々にこそ、生きた人間の息吹を感じるし、血の通った人間の姿を見る。だが、展示されていたきらびやかな文物たちは、そうした人間の血潮を覆い隠すような数々だ。でも、逆に言えばそのわざとらしさこそが、そこに隠蔽された人間たちの生を浮き彫りにしているとも言える。
 不思議と今回は、そんな人間の生について深く思いを馳せた。そして、文物の素晴らしさの裏にあった人々の笑顔と涙とを感じることができた。そんな意味で、今回の鑑賞会は私にとってなかなか感銘を受けたものだった。もちろん、いくつかの書も良かったですよ。その楷書の美しさは素晴らしかった。

研究日誌

 残念ながら今日は何も進まず。上記の鑑賞会に参加していた間に次の本を読み進められたことが収穫かな。

いちばんやさしい教える技術

いちばんやさしい教える技術

 早稲田大学の向後千春先生の本である。いやはや、本当にやさしくインストラクショナル・デザインの基本を教えてくれる。そしてさまざまにヒントを与えてくれる本である。もう少しで読み終わるが、さらにメモを作るために読み返そう。