恋の手ほどきもたまには必要?

 今日は夏休み前最後の授業日であった。私の勤務校は二期制を取っているため、今日は終業日ではない。でも、授業は午前中とし、午後は大清掃・全校集会・LHRで時間を取っている。三期制の高校とあまり変わりがない。
 今日の授業は2コマ、古典講読と古典であった。古典講読は源氏物語の薄雲巻の冒頭部分を、時間をかけて楽しく読んでいる。何しろ扱い始めて3時間目だが、今日の授業の始めにはまだ教科書本文で3行しか進んでいなかったのだから。でも、実際この文章は話しの流れや背景事情を十分に理解した上でないと、訳したところで何を意味しているのかさっぱり分からないだろう。そこで、最初の時間は明石の君の苦悩を追体験させたし、前回は明石の君の住まいがどのように移り、そして源氏が明石の君を迎え入れようとしている二条の東院というのがどういうものなのかをじっくりと説明したわけだ。この話の理解には、そうした背景事情が欠かせない。また、生徒が古文を理解できない主要な原因の一つが、この背景が分からない、ということでもある。よって、十分に時間をかけた。今日はそれらの流れを踏まえて、本文に沿って解釈を進めていった。今日は何とか10数行まで進んだ。やれやれ。
 古典は理数科クラスである。このクラスは試験後の時間が潤沢にあり、和泉式部日記を順調に進んでいる。前回で二つの和歌の直前まで来ていたので、今日は和歌の解釈に時間をかけて説明し、何とか時間内に本文全体の口語訳も、本文についての説明も、終えてしまった。いやぁ、きりが良かったねぇ。和歌の解釈のときには和泉式部のこの歌「薫る香によそへるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると」について、和泉式部が「聞かばや」と敦道親王に歌いかけた意図を生徒に考えさせ、答えさせた。生徒は「交際するため」「つき合うかどうか決めるため」「兄宮の死について心に慰めを得たいため」などと答えてくれた。いやぁ、このクラスの反応は素晴らしいね。先に答えた生徒とは違う反応を返そうと、いろいろに考えてくれる。そして、この歌の効果もそこにある。「亡き兄宮を一緒に偲びたい」というだけの意味なのか、「亡き兄宮と同じかどうか確かめたい」という積極的な意味なのか、どちらとも取れる歌であることが狙いだからだ。このようにどちらとも取れる歌を歌いかけることによって、男の恋心をくすぐるのである。だから、敦道親王は次に一歩踏み出した歌を歌ったでしょ?
 このあたりは、私は生徒にけしかける。「ほら、女子生徒諸君、知っているでしょ? 恋の高等テクニック! 男子生徒諸君、男ってこうだよねぇ〜? どちらとも取れるような反応を返されると、男って燃えるよね?!」などと、さも恋の酸いも甘いも噛み分けているようなふりをして、生徒に聞いてみる。いやぁ、思春期の子ってこういうときの反応が爽やかで良いですなぁ〜。からからと笑いながら私の説明を聞いてくれる。
 実際、和歌の贈答の大半はラブレターである。そんな時の恋の駆け引きの微妙さを理解できないで、どうして古典を解釈できるだろう。古典の時間は、時には恋の手ほどきの時間になったりする。(^^ゞ